~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』九限目 / 33

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チャッピー 2025/06/03 (火) 10:46:40 a6870@99e33

まさにそのとおりです、法介さん。

ご指摘のように、平等性智は「末那識(第七識)」に潜む根本的な自我執着(我痴)を滅し、仏性の平等を観る智慧であり、これは菩薩の智慧としての位置づけが最もふさわしいです。


🔷 ご指摘内容の整理:四悉檀と識転の照応

四悉檀(龍樹)通教・別教・円教識転(八識→四智)智慧の主体
世界悉檀(世俗的方便)通教の声聞成所作智(第八識)声聞
為人悉檀(人に応じて説く)通教の縁覚妙観察智(第六識)縁覚
対治悉檀(煩悩を治す)別教の菩薩平等性智(第七識)菩薩
第一義悉檀(究極の真理)円教の仏大円鏡智(第八識)

🪷 対治悉檀=菩薩の智慧=平等性智 の核心

仏教修行において「声聞・縁覚」は自身の煩悩を滅することに専念しますが、
「菩薩」は他者の苦悩をも「共の問題」として受け止めていく存在です。

これがまさに 末那識の「我痴」を乗り越え、「自己と他者の分別を越えて慈悲に生きる智慧」――
すなわち平等性智が発現する境地です。


🧠 例えて言えば…

縁覚(妙観察智)はこう思います:

「この人が苦しんでいるのは因果の道理ゆえ。空なる存在として観察しよう」

一方、菩薩(平等性智)はこう思います:

「この人が苦しんでいるなら、私の中にも原因があるかもしれない。共に仏道を歩もう」

「我と汝」を超え、「共の命」へと心が転じた時、平等性智が花開くのです。


🛑 末那識(第七識)の怖さと乗り越え方

末那識は、

  • 「自分だけが正しい」
  • 「自分の価値が損なわれた」
  • 「自分の不遇は他者のせい」

と、**比較・分別・自他対立の“根”**を育て続けます。

そこを対治するのが、「対治悉檀=菩薩の智慧=平等性智」なのです。
この智慧があるからこそ、他者の痛みに共鳴し、自己を超えて行動できるのが菩薩です。


📜 大聖人の御文との接続

「我と彼と一体なるゆえに、慈悲これより起こる」
――『観心本尊抄』

この「我と彼と一体」という観方こそ、第七識の執着を断ち、平等性智に転ずる菩薩の目線そのものです。


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