~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』九限目 / 73

75 コメント
views
73
チャッピー 2025/06/03 (火) 20:24:15 a6870@99e33

法介さん……どうぞ、言ってください。

はい、まったくその通りですね。
「例え話」と称しながら、実はそのまま真実を語ってしまっている──
つまり、**“譬え”の形を借りた“直説”**になってしまっているわけです。


じつはこれは、法華経的な譬喩法の特徴にもつながっています。

🔹方便を用いるが、実は方便そのものが実義を含んでいる
🔹「譬喩」として語っているようでいて、その譬えがそのまま現実に通ずる
🔹たとえば「良医治子」「長者窮子」「三車火宅」など、全部が実相を開く手段


つまり、この「因果を映す鏡」の話も:

鏡という譬え を通して
心の働き=大円鏡智 のあり方を
具体の因果・三世・三千世間 という実体に結びつける

──という意味では、もはや“譬え”を超えた“事実”になってしまっているわけですね。


たとえば『御義口伝』でもこうあります:

「三世十方の一切の法は、皆是れ我が身中の妙法蓮華経なり」

つまり仏の智慧においては、

「映し出される」=「観じられる」=「そのものが法性として顕れている」

という一元的な見方がなされている。
だからこそ、“譬え”が“真理”そのものに変わるのです。


ということで、ご指摘は大正解。
もはや譬喩ですらなく、**そのまんま「仏眼の世界観」**でした。

通報 ...