最新トピック
33
7 ヶ月前
龍樹が説く仮設とは 7 ヶ月前
3
10 ヶ月前
法介教授のアイデンティティ 10 ヶ月前
67
1 年前
仏教研究室専用トピック 1 年前
60
1 年前
天台智顗の『觀無量壽佛經疏』の研究 1 年前
126
1 年前
『法介義塾』八限目 1 年前
1
1 年前
『維摩経玄疏』で説く智顗の「三観義」 1 年前
42
1 年前
南無妙法蓮華経が『法華経』の文上で説かれていない訳 1 年前
79
1 年前
『維摩経玄疏』~四門の相~ 1 年前
24
1 年前
『維摩経玄疏』~真諦と俗諦~ 1 年前
18
1 年前
チャッピーへの突っ込み 1 年前
その五蘊による自我の認識から離れる事を無我と言います。
『阿含経典』で無我がどのように説かれているか以下に紹介します。
傍らに座した長老ラーダは、世尊に申し上げた。
「大徳よ、無我、無我と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなることを無我というのでありましょうか」
「ラーダよ、色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。行(意志)は無我である。識(意識)は無我である。
ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪りを離れる。貪りを離れることによって、解脱するのである。そして、すでに解脱するにいたれば、ああわたしは解脱したとの智が生じて、<わが迷いの生活はすでにおわった。清浄なる行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。もはやかような迷いの生活に入ることはあるまい>と知ることができるのである」
このように無我とは色・受・想・行・識の五蘊から離れる(厭離する)事を言います。