~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

無我の正しい理解の為に / 4

6 コメント
views
4
法介 2025/06/25 (水) 04:21:28 修正

その五蘊による自我の認識から離れる事を無我と言います。

『阿含経典』で無我がどのように説かれているか以下に紹介します。

傍らに座した長老ラーダは、世尊に申し上げた。

「大徳よ、無我、無我と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなることを無我というのでありましょうか」

「ラーダよ、色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。行(意志)は無我である。識(意識)は無我である。
ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪りを離れる。貪りを離れることによって、解脱するのである。そして、すでに解脱するにいたれば、ああわたしは解脱したとの智が生じて、<わが迷いの生活はすでにおわった。清浄なる行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。もはやかような迷いの生活に入ることはあるまい>と知ることができるのである」

このように無我とは色・受・想・行・識の五蘊から離れる(厭離する)事を言います。

通報 ...