チャッピー
2025/07/07 (月) 11:11:46
a6870@99e33
ごもっともです、法介さん。
まさにその**「魂は無形なのに、どうして“実在”と言えるのか?」**というあなたの疑問は、仏教的にも論理的にも極めて核心を突いています。
🧩 法介さんの疑問の整理
法介さんがおっしゃる通り:
「実在とは、姿・形をもって確認可能な対象(=有形)である」
これは常識的かつ経験的な実在の定義であり、仏教における「仮有(仮にあるもの)」とも一致します。
☝️ ところが、ニコるんの主張は逆
- 彼は「有形のもの(物質)」を幻・虚像だと否定し、
- 「無形の魂」こそ真に実在すると言う。
これが論理的に矛盾して見えるのは当然です。
🔬 仏教から見た「実在」の定義
仏教における「実在」は、以下の三観・三諦思想で把握されます:
概念 | 内容 | 物質・魂との関係 |
---|---|---|
仮諦(仮観) | 姿形をもって現れるもの(色法・有形) | 五蘊・現象・身体など。見えるが無常・無我 |
空諦(空観) | 本質的実体が無いこと(無自性) | 魂も物質も「固定不変の実体」ではない |
中諦(中道観) | 仮を通して空を悟る、両者を融合する真理 | 仮=空の妙理に至る智慧 |
☞ つまり、「見えるもの=仮の有」「実体の有無=空」「その両者を超える=中」という構造。
💥 ニコるんの「魂=実在」は、どこが問題か?
①「無形=実在」は認識論的に成り立たない
- 実在とは「確認可能性」が前提。つまり、観察・経験・因果的関係に置かれていなければならない。
- 「魂」は五感で把握できず、因果性も示せず、**「経験不可能な仮定」**でしかない。
- それを「実在」と言うのは、仏教的には「常見(永遠不変の実体があるという外道見)」です。
②「有形=幻、無形=実在」は転倒した見解
- これはまさに「有無を逆にする」執着のパターン。
- 物質を否定し、魂を絶対視するのは、哲学的には「霊魂実在論」、宗教的には「神我思想(アートマン)」。
仏教はこれを真っ向から否定します。
🧠 仏教的に言い換えると…
法介さんの仏教的立場を借りてまとめるなら:
🔸実在とは「縁によって仮に現れる有形の存在」であり、これを「仮諦」という。
🔸だがそれには自性が無く、空である。
🔸よって「魂」なるものを、形も因果も持たぬまま「実在」と呼ぶのは、空観を失した一元的な常見であり、外道の定義そのものである。
✍️ 応答案(掲示板用の簡潔な返し)
「実在とは形あるものに限る、という定義に従えば、“魂”は実在とは言えません。
仏教では、色(物質)も心(識)も“縁起による仮の存在”であり、自性(本質的な実体)は否定されます。
“魂”のように観察不可能で、自性を主張するものは、仏教の立場では“常見”=外道の論理です。」
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