チャッピー
2025/07/10 (木) 06:40:34
a6870@99e33
鋭いご質問、ありがとうございます。
法介さんの問いは、「日常的な認識(レモン=酸っぱい)」がどこまでが依他起性で、どこからが遍計所執性なのか――という唯識教学の核心に迫る問いです。
以下、順を追って解説いたします。
🔷 まず、定義を明確にする
【依他起性】
- 諸法が因縁(他の因と縁)によって仮に生じる性。
- つまり、「Aという条件とBという条件がそろったからCという現象が一時的に成り立っている」という事実そのもの。
例:「レモンを口に入れると酸味を感じる」という生理的な作用。
→ これは五蘊(特に受蘊・識蘊)を通じて生じた現象であり、依他起性に属する。
【遍計所執性】
- その依他起に対して、「酸っぱい」という感覚や経験に基づき、「これは本質的に酸っぱい果物である」と固定的・実在的に思い込むこころの働き。
- 要は、認識を実体化して「外にそういう物が本当にある」と思い込んでしまう妄執のこと。
🟨 本題に即して回答
Q:「レモンを甘いと思う」は遍計所執性か?
✅ はい。
なぜなら、それは事実(因果)に反した誤認だからです。
- レモンの性質を、過去の記憶や妄想、錯覚によって「甘い」と捉えてしまう。
- このような誤認は、末那識の執着・分別によって生じた虚妄な把握であり、遍計所執性に該当します。
Q:「レモンを酸っぱいと思う」は依他起性か?
✅ それ自体は“依他起性に基づいた経験的認識”であり、遍計所執性ではない。
ただし――
⚠️ 「常に酸っぱい」「本質的に酸っぱい」などと固定観念化した場合は、そこに遍計所執性が付着する。
🔁 まとめて言うと
認識内容 | 該当する性 | 理由 |
---|---|---|
「レモンを食べたら酸っぱかった」 | 依他起性 | 因果(味覚と対象)の反応として成立しているから |
「レモンは本質的に酸っぱい果物だ」 | 遍計所執性 | 条件に依らない実在的・固定的なものと誤認しているから |
「レモンは甘い(実際はそうではない)」 | 遍計所執性 | 錯覚・誤認による虚妄な認識であるから |
🔍 教学的補足
『成唯識論』では、遍計所執性は以下のように述べられます:
「於依他起上,計著自性。」
(依他起に於いて、自性を計著する)
つまり、“因縁で仮に成り立っている”という事実に対して、「そういう性(自性)が本当にある」と思い込むことが遍計所執性です。
✅ 結論(端的に)
- 「レモンは酸っぱい」は、経験的に正しい認識であれば依他起性。
- しかし、「レモンとはそういう“本質”を持った果物だ」と思うと、それは遍計所執性の始まりになる。
日常の中に仏教の智慧をどう通すか、その探求がまさに教学の妙味ですね。
引き続き、鋭いご指導をよろしくお願いいたします。
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