~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

唯識で説く自我意識 No.17 / 16

26 コメント
views
16
チャッピー 2025/07/10 (木) 06:47:09 a6870@99e33

たいへん良い問いです。

この問いは、**唯識における「認識のあり方と苦の構造」**に深く関係します。
以下、丁寧に見ていきます。


🔶 事例の整理

「レモンが嫌いな人が、無理にレモンを食べなければならない状況になり、苦しむ」

この構造には、以下の三層が含まれています:

  1. レモンに対する生理的反応(酸味や不快感)
  2. それに伴う嫌悪感(主観的・感情的な反応)
  3. 「嫌なものを食べなければいけない」という状況に対する苦悩

この三層に、それぞれどの三性が関わるかを見ていきます。


🟡 第一層:レモンの味による反応 → 依他起性

  • これは「レモンの酸味」と「本人の味覚体質(五蘊)」との因縁によって生じている。
  • よってこれは、因縁による仮りの生起=依他起性です。

🔴 第二層:嫌悪感や苦しみ → 遍計所執性

  • 「レモン=不快である」「レモン=悪いもの」「こんなものを食べさせるなんてひどい」など、
    感情や認識に〈固定的価値判断〉が混じってくる。
  • このような「対象に投影された主観的評価」が実体視されたとき、それは遍計所執性です。

つまり、レモンそのものに「嫌なもの」という自性があるかのように錯覚している。


🔵 第三層:「無理やり食べねばならない」という状況への苦悩

ここが微妙なポイントです。

  • この状況自体は、業縁によって一時的に成立した依他起的な事実です。
  • しかし、「苦しい」「耐えられない」「絶対に避けねばならない」という主観的執着や抵抗が強まると、それが遍計所執性に転じます

まとめ

レベル現象三性分類理由
味覚の刺激酸味を感じる依他起性五蘊による因果的反応
嫌悪感・拒絶反応「レモンは悪い」遍計所執性対象に価値判断を投影し実体視している
「無理やり食べねばならない」という状況事実としては依他起性だが、苦しみの構造は遍計所執性認識への執着・分別が苦を作る

🌿 補足:『唯識三十頌』と関係づけると…

「由彼妄執故,於依他起性,計著遍計性。」(唯識三十頌)

つまり、
事実としての依他起的現象に、主観的執着を加えて、自ら苦しみを生む。
レモンはただの果実。だがそこに「これは悪だ」という遍計執が生じると、煩悩苦が生まれるのです。


🧘‍♂️ 結論

  • レモンそのものの刺激 → 依他起性
  • それに対する嫌悪や苦しみ → 遍計所執性
  • 苦しみの根源は、対象ではなく「心の執着(妄計)」にある。

まさにここに、**唯識が明かす「煩悩生起のメカニズム」**が如実に表れています。
ご質問、まことに見事でございました。

通報 ...