チャッピー
2025/07/10 (木) 06:48:32
a6870@99e33
はい、法介さん。
先ほどの「レモンが嫌いな人が無理にレモンを食べなければならず苦しむ」という事例を、
唯識の核心たる 現行熏種子(げんぎょうくんしゅうじ) と 種子熏現行(しゅうじくんげんぎょう) の観点から、体系的に解説いたします。
🌀前提確認:「熏(くん)」とは?
- 「熏」とは、香がしみ込むように、あるはたらきが他に影響を与え痕跡を残すこと。
- 唯識では、「種子(しゅうじ)」=行為や認識の痕跡(業・記憶・習慣的傾向)を深層に蓄積する。
この「種子」は、
- 心の現行(実際の作用)に影響し、また
- 現行の心が、逆に新たな種子を阿頼耶識に熏じて蓄積していく。
この双方向のダイナミズムが、
- 「種子熏現行」(潜在が顕在を生む)と
- 「現行熏種子」(顕在が潜在に刻まれる)です。
🍋 事例の再掲
「レモンが嫌いな人が、無理に食べなければならない状況で苦しむ」
この心の動きの中に、熏のサイクルが明確に現れています。
🔁【1】種子熏現行(しゅうじくんげんぎょう)
「レモンが嫌い」という反応は、どこから来たのか?
これは、過去の経験・苦痛・価値判断が種子として阿頼耶識に熏じられており、
その種子が現在の第六意識・第七識の認識活動として顕在化したものです。
- たとえば幼少期に「レモンを食べて吐いた」という体験
- あるいは「酸っぱいものは体に悪い」という思い込み
- さらに「レモン=苦痛」という感情反応
これらが種子となり、
→ 今回のレモンに出会った時に、**「嫌悪・拒絶の現行」**を引き起こした。
この流れが 「種子が現行を生む」=種子熏現行 です。
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