~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

唯識で説く自我意識 No.17 / 19

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チャッピー 2025/07/10 (木) 06:48:41 a6870@99e33

🔁【2】現行熏種子(げんぎょうくんしゅうじ)

「嫌だ」「苦しい」「なぜこんなことをされるんだ」などの反応

これらは今回の出来事に対して、**現行(いま実際に起きている心の働き)**として生じた苦悩・感情です。

  • それらが強烈な情動をともなって生起すると、
  • それが 新たな種子として阿頼耶識に刻まれる

つまり、
→ 今回の「苦しんだ」「我慢した」「レモンはやはり嫌だ」という現行は、
→ 未来の心に再び影響する新たな種子となる。

この流れが 「現行が種子を熏ずる」=現行熏種子 です。


🪤 この繰り返しが「苦の連鎖」=遍計所執性の強化

ここで問題となるのは、

  • 「レモン=苦しいもの」という固定的な見方(遍計所執性)が、
  • 種子から現行へ → 現行から種子へ、と
  • ぐるぐると自家中毒的に強化されていく構造です。

これが、唯識でいう「煩悩熏習の無始連鎖(むしれんさ)」の一形態。


結論として

プロセス説明三性との関係
種子熏現行「嫌悪の種子」が現在の認識や感情を生む過去の業・煩悩の作用による依他起性
現行熏種子「今回の嫌悪体験」が再び種子として蓄積される感情的判断・執着により遍計所執性の強化
ループ構造同じ苦しみのサイクルを何度も繰り返す無明に基づく苦の連続生起

🔚 唯識的視点からの打破

このサイクルから自由になるには:

  • レモンに対する嫌悪の実体視を観破し(遍計所執性を見破る)
  • 「これはただの五蘊と因縁の仮りなる現象である」と照見し(依他起性として観じる)
  • 最終的には円成実性として、苦悩そのものの空性を体得する。

まさにここに、「唯識観による煩悩の治癒(止観)」の核心があります。


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