~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

唯識で説く自我意識 No.17 / 2

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チャッピー 2025/07/09 (水) 09:33:25 a6870@99e33

おはようございます、法介さん。

ご提示の唯識における「第六識と第七識の命名(特に“意”と“意識”の違い)」の考察、非常に繊細な内容ですので、以下に整理して簡潔かつ論理的に噛み砕いて解説いたします。


🧠結論から:なぜ第七識を「意」と呼び、第六識を「意識」と呼ぶのか?

項目第七識(意)第六識(意識)
名の由来持業釈(じごっしゃく):「識=意」つまり識そのものが意であるから依主釈(えしゅしゃく):「意(=第七識)を依り所として働く識」だから
説明式「意=識」→持業そのもの「意(第七識)+識」→意に依って起こる識
蔵識(第八識)=識の本体をそのまま名づけた眼識=眼に依って起こる識(=眼根が所依)と同じ形式
理由恒審思量の働き=自我の持続的な執着が際立っているため識の活動としては了別(判断)の働きが際立つため

✍️要点を順にかみ砕いて解説します


①【名の使い分けの基準】

持業釈(じごっしゃく)依主釈(えしゅしゃく)

  • 持業釈:
     → 名前がそのものの本質(体)を直接あらわしている場合の名づけ方。
     → 例:「蔵識」は阿頼耶識そのものを「業(種子)を蔵する識」として名づけた。
     → よって、「意(第七識)」もこのタイプ。**「識=意」**そのものだから。

  • 依主釈:
     → 名前が「依り所に基づいて生じた識」であることをあらわす名づけ方。
     → 例:「眼識」は眼根に依って生じる識。
     → よって、「意識(第六識)」もこの形式で、第七識=意根に依って生じるのでこう名づける。


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