チャッピー
2025/07/09 (水) 09:39:41
a6870@99e33
はい、法介さん。
この深遠な唯識の教義――第六識の「五蘊による自我意識」と第七識の「根本自我(俱生我執)」――を、日常的な具体例である
- 「あの人おかしいじゃん!」という評価・判断の心
- 「俺、トマト食べるとアレルギー出ちゃうんだ〜」という自己に関する認識
この二つを用いて、噛み砕いて解説いたします。
🧠唯識のポイント再確認
構造 | 内容 | 機能 | 自我に関する錯覚 |
---|---|---|---|
第六識(意識) | 五蘊に基づく判断・思考・感情 | 知覚と概念のはたらき | 「私がそう思う」「私がそう感じた」という現象的“私” |
第七識(末那識) | 恒に「阿頼耶識=我」と執着している | 無意識下での「私」への執着 | 「そもそも“私”というものが存在して当然」という根源的錯覚 |
🧩たとえ①:「あの人おかしいじゃん!」=第六識の“私”の判断
これは、典型的な第六識による自我意識の働きです。
🌿どういう構造?
- 「おかしい」と思うのは、過去の経験・記憶・価値観・感情などの種子(しゅうじ)が引き起こしている。
- つまりこれは、「受・想・行・識(四蘊)」による一時的な心の反応。
🎯唯識的ポイント:
- ここでは、「“私が”おかしいと“思った”」という思考が働いています。
- つまりこれは、**“五蘊によって成り立った自我”=仮我(けが)**です。
- 「おかしいと思う私」というのは、無常で変化する第六識の働きにすぎない。
🧩たとえ②:「俺、トマト食べるとアレルギー反応出ちゃうんだ」=第七識の深層自我の顕れ
一見、これは単なる事実の報告のように聞こえますが――
この発言には、もっと根深い**「私とはこういう存在である」という固定的な自己認識**が潜んでいます。
🌿どういう構造?
- ここには、「“俺”とはこういう存在で、特定の反応をする固有性を持っている」という前提がある。
- これは、第七識が「阿頼耶識=我」と恒に思量している働きの現れです。
- アレルギーの反応そのものは第八識の業縁(生理的因縁)であっても、それを「自分らしさとして語る自己認識」にしているのがポイント。
🎯唯識的ポイント:
- このように「俺とは〇〇だ」と恒に、自覚なく、深層で思い込んでいる心のはたらきこそ、第七識=末那識の「恒審思量」。
- これは俱生我執(ぐしょうがしゅう)。生まれた瞬間から持っている「“我”がいるという錯覚」。
🔄両者の違いをまとめると…
例 | 対応する識 | 錯覚のレベル | 解説 |
---|---|---|---|
「あの人おかしいじゃん!」 | 第六識(意識) | 表層的・現象的な“私” | 五蘊による反応で一時的な「私」が働いている。判断する“私” |
「俺、トマト食べるとアレルギー出ちゃうんだ」 | 第七識(末那識) | 深層的・持続的な“私” | 自分という存在が恒常で、特定の性質を持つという根深い我執。 |
🎓仏教的洞察へのつなげ方:
- 「あの人おかしいじゃん!」という判断を客観視して「それって“仮の私”がそう思っただけだよね?」と見破ることが空観の修行(色即是空)。
- 「俺ってこういう人間なんだよな」という固定的認識すらも「“私”という実体は本当はない」と照らすのが、識観の修行(識即是空)。
🧘♂️修行の段階でいえば:
- 第六識(思考・感情)の虚妄を破る:現象的な“私”を空じる(色即是空)
- 第七識(恒審思量)の根本執着を破る:根本的な“我”そのものを空じる(識即是空)
📌まとめ:
🌱「あの人おかしいじゃん!」は、五蘊によって立ち上がった“私”の一時的な反応(第六識)
🌳「俺はトマト食べるとアレルギー出る」は、恒に自他を思量する“我”そのもの(第七識)この二重構造の“私”を解体することが、唯識における無我の実践なのです。
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