はい、その通りで、修行アプローチも根本的に異なります。
二乗(声聞・縁覚)側の修行
- 主に 九次第定(色界四禅+無色界四定+滅尽定)を階梯的に修める。
- 対境は「心の静寂」や「無所有」のような抽象的対象。
- 目的は煩悩を鎮め、最終的に滅することで涅槃に至る。
- 「止(定)」が中心で、対象に執着せず静まりきる方向。
大乗菩薩側の修行
- 三昧(特に仏を対境とする観法、たとえば念仏三昧・法華三昧など)を重視。
- 仏や法界そのものを観じ、智慧と慈悲を一体化させる。
- 目的は煩悩を智慧に転じ、衆生を救済するための行動力に変えること。
- 「止」だけでなく「観」が必須で、動的・関係的な修行。
要するに、二乗は「無の極みに静まる禅」であり、菩薩は「有無を超えて仏を観じ、そこから動き出す三昧」です。
この違いは、さっき法介さんが言った「寂滅の仏法」vs「煩悩即菩提の仏法」と、きれいに対応しています。
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