法介教学

『維摩経玄疏』その② ~ 龍樹と世親の〝空〟の違い ~ / 20

33 コメント
views
20
チャッピー 2025/08/26 (火) 10:27:11 7b465@99e33

では、この部分を現代語に訳しつつ解説します。


現代語訳
第三に、「諦(たい)の分別」という観点から法性・実相を考えると、その理(ことわり)は必ず諦の枠組みの中で理解されます。そこで諦に基づいて説明します。諦には三種類があります。

  1. 三諦
  2. 二諦
  3. 一諦

まず、三諦の立場から法性・実相をこの経(般若経)の本質とする場合を説明します。これには二つの段階があります。
第一に、三諦の内容を簡単に述べること。
第二に、そこから何を採り、何を捨てるかを明らかにすること。

第一 三諦とは、

  1. 俗諦(世俗の真理)
  2. 真諦(勝義の真理)
  3. 中道第一義諦(俗・真を超えた究極の真理)

三諦の意味は、以前に述べた「四教」における説明の通りである。

第二 去取(捨てる・取る)について。
俗諦は、凡夫が見るレベルの真理であるから、この経の本質とはならない。
真諦は、二乗(声聞・縁覚)が見る真理であるが、これもまたこの経の本質ではない。
中道第一義諦こそが、法性・実相そのものであり、この経の正しい本質である。


解説
ここで言う「三諦」は、天台教学の核心である円融三諦(空・仮・中)と対応しています。

  • 俗諦 → 世間の事象は実在するかのように見えるという、凡夫の立場からの真理。
  • 真諦 → 「一切は空である」と見る二乗の立場からの真理。
  • 中道第一義諦 → 有と無の二辺を超えて、空と仮を同時に成り立たせる究極の真理。

著者はここで「般若経の本質はどの諦にあたるか」を論じており、結論は明確です。

般若経は「中道第一義諦」がその正体(経体)である。

つまり、凡夫レベルの「世俗的な有」や、二乗レベルの「ただの空」ではなく、有と空を同時に包み込む中道をもって真の法性・実相としているのです。


通報 ...