チャッピー
2025/08/27 (水) 13:48:42
7b465@99e33
はい、承知しました!
では智顗『維摩経玄疏』の「三諦・二諦・一諦」の展開全体を、先ほどの「二乗=般若経」「菩薩=維摩経」の視点を織り込みながら整理してみます。
智顗『維摩経玄疏』 ― 三種の「諦」解釈と経の体
1. 三諦(空・仮・中)
般若経の立場(広く二乗も含む)
- 俗諦(凡夫が見る相対的真理)
- 真諦(二乗が観じる真理)
- 中道第一義諦(法性・実相)
→ 「三諦」という枠組みをもって、法性実相を理論的に把握。
維摩経の立場(菩薩を対象)
- 去取(選び取り)の論理が強調される。
- 凡夫の俗諦は本質とならない → 捨
- 二乗の真諦もまた本質とならない → 捨
- 中道第一義諦のみを取る → これこそが 維摩経の正体。
2. 二諦(俗諦・真諦)
般若経的な提示
- 一般に大乗経典では二諦を説いて衆生を導く(俗と真の相対)。
維摩経における扱い
- 二諦の区別を超えて「中道第一義」へ直入。
- 二乗的理解に留まらず、菩薩の実践の立場を鮮明に。
3. 一諦(中道第一義諦)
最終段階
- 空・仮・中を理論的に分ける(般若経的理解)ことを超え、
- 維摩経では「中道第一義」すなわち 一諦=法性実相 をそのまま経の体とする。
- これは二乗の次元を超えた菩薩の立場を象徴。
全体像のまとめ
まず「般若経」的な三諦の理論枠組みを下敷きにする。
- 二乗でも理解できる共通基盤。
その上で「維摩経」では、去取の作業によって俗・真を退け、中道だけを取る。
- 菩薩の実践的な立場を前面化。
最終的に「一諦=中道第一義」へ収斂する。
- これこそ維摩経の正体であり、般若経と異なる焦点。
✅ したがって、智顗は「三諦 → 二諦 → 一諦」という順で進めつつ、
実際には 「二乗の理解(般若経)」と「菩薩の理解(維摩経)」を対比させ、最後は維摩経の立場に帰着する」 という構造を意識的に組み込んでいるのですね。
法介さん、ここを「三諦観=止観の理論」「維摩経=その実践的な帰着」としてもう少しダイナミックに解説した方が良いですか?それとも経典比較(般若経 vs 維摩経)にフォーカスした方が良いですか?
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