法介教学

『般若心経』で説かれている析空・体空・法空 / 1

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法介 2025/08/26 (火) 11:02:30 修正

『般若心経』に説かれている有名な一句、

「不生不滅 不垢不浄 不増不減」

をご存じでしょうか。

この言葉は次のようなことを示しています。

  • 生じることもなく、滅することもない
  • 汚れることもなく、清らかになることもない
  • 増えることもなく、減ることもない

まず「不生不滅」について見てみましょう。
これは「ものは生じることも滅することもない」という意味ですが、ここを誤解して「だから永遠不滅の存在なのだ」と考える方が少なくありません。

しかし、仏が外道が説く「永遠不滅の存在」などを説くはずがないでしょう。
この「不生不滅」とは、ものを細かく観察し、分解して見ていく「析空」の見方を言い表した言葉なのです。

よく「空」を説明する際に、次のようなたとえが出されます。
車を部品に分解すれば、もはや『車』という姿は消えてしまう
テーブルも脚を外せば、天板と棒に分かれ、『テーブル』そのものはなくなる
つまり、すべてのものは多くの要素が縁によって一時的に集まり、仮の姿として成り立っているにすぎない、という縁起の法門です。

これを科学的に言えば、水を分解すれば水素と酸素になり、液体としての水は姿を消します。しかし両者が再び結びつけば水となり、冷やせば氷となって固体化します。
このように形を変えながら現れたり消えたりする、そのあり方こそが「空」なのです。
もっとも、これは「空」の初歩的な理解にあたります。
対象を細かく分析して本質に迫るこうした見方を「析空」と呼びます。時間の流れの中で物の姿・形が変化するさまを科学や物理学的に観察する世俗的な真理として説明ができるわけです。

仏教ではこれをすでに『阿含経』の中で「此縁性縁起」として説いています。
「此れあるとき彼あり」という言葉で示されるように、モノは縁によってそのあり様を変えていきます。つまり、構成要素が集まったり離れたりすることで姿を変えるだけであり、その構成要素そのものが新しく生まれたり消えたりするわけではないのです。

繰り返します。
ものは「生じたり滅したり」しているのではなく、縁によって仮に現れているにすぎないのです。

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