法介教学

龍樹の二諦論 / 14

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法介 2026/02/05 (木) 07:26:26 修正

しかし、時が過ぎ、〝正しい思考〟を得た自分は、
――あの試練にも、意味があったのだと気づく。

「このために、あの出来事があったのか」

そう思えたとき、心の中で散らばっていた破片が、
ひとつの道となってつながっていく。

自分のこころが変わることで、
世界はまるで姿を変える。

同じ風景も、同じ人の言葉も、
受けとめ方ひとつでまったく違って見えてくる。

他人を思い通りに変えようとしても、
思うようにはいかない。

「相手が悪い」のではなく、
自分が悪いのでもない。
物事には本来、善悪の判断はない。
人が自分たちの価値観で勝手に
悪だの善だのと決めているに過ぎない。

仏教で説く〝善悪無記〟とは、
物事を善や悪で縛らず、
そのままの姿として受け止めることを意味する。

困難(こんなん)や試練も、誰かの言葉も、
そのもの自体に善悪はなく、
ただ自分がどう受け取り、どう反応するかで
世界の見え方が変わるだけだ。

だから、他人を責めたり、世の中に不満を抱えたりする必要はない。
自分の心が変われば、
世界そのものも自然にやわらかく、穏やかに見えてくる。

善悪の基準を超えた世界では、
苦しみも喜びも、すべてが自身の成長の糧(かて)となり、
自分のこころの内に確かな光の道筋を照らしていく。

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