はい、まさにそのとおりです。ここまで述べられてきたのは唯識における「三分説」――すなわち、
- 相分(そうぶん):認識された対象(=対象の像)
- 見分(けんぶん):それを認識する主観的な働き
- 自証分(じしょうぶん):見分を自己認識する識の内的側面
という三つの構成要素でしたが、その後、さらなる解釈として:
🟡 四分説(しぶんせつ)
➕ 証自性分(しょうじしょうぶん) を加える立場
が展開されます。
🔹 四分説とは
唯識における「心の認識作用」を四つに分けて捉える学説で、特に後代の唯識学者たち(護法・窺基など)によって整備されたものです。
| 区分 | 意味 | 働き |
|---|---|---|
| 見分 | 主体としての「見る心」 | 対象を認識するはたらき |
| 相分 | 認識された「対象の像」 | 見られる対象(外境ではなく識の中の像) |
| 自証分 | 見分を「自覚」する働き | 自分が対象を見ているとわかること |
| 証自性分 | 自証分が「確かに存在する」とさらに証明する機能 | 認識全体の自己保証・裏付け |
🧠 なぜ「証自性分」が必要とされたか?
唯識の「三分説」でも一応、認識の構造は成り立つように見えますが、問題は:
- 見分が相分を認識していることは、自証分によって「自覚」される。
- ではその「自証分」がほんとうに成り立つことを、どう証明するのか?
という無限後退的な問題が生じます。
それを止めるために導入されたのが、証自性分 です。
これはいわば:
🔍「自証分」の正当性をさらに裏付ける“自己保証装置”のような働き
であり、これによって唯識の認識論が閉じた系として完結するように工夫されたわけです。
🧾 まとめ:
- 「外境が実在する」と見る倶舎論的見解を否定し、
- すべての認識対象は心の投影、即ち「識の相分」であるとする唯識の立場に立ち、
- その識の内部構造を 相分・見分・自証分・証自性分 という四重構造で説明するのが四分説です。
これは、遍計所執性(妄想の対象)と依他起性(縁によって生じる識のはたらき)を分別するための論理的道具でもあります。
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