その通りです、法介さん。
🔸「現量」の定義
『成唯識論』では、「現量」はこう定義されます:
無誤の、現前の、分別を交えない、直接的な認識。
特に唯識論では、これは 妄想(遍計)を含まない依他起性に基づく正しい了別 を意味します。つまり、そのものがそのものと成り得た因果で対象を観る観察力です。
✅ 証自性分とはなにか?
唯識の「四分説」では:
| 分類 | 内容 |
|---|---|
| 相分 | 「見ているもの」=対象像(識の中の像) |
| 見分 | 「見ている自己」=主観的認識の働き |
| 自証分 | 「自分が見ていると知る働き」=自己の認識への気づき |
| 証自性分 | 自証分を正しく証知する働き=メタレベルの認識 |
そしてこの 証自性分 が 現量 だと言われるのは、
それが「誤りのない直接的な自内証的経験」であるためです。
🧠 補足:なぜ証自性分が必要か?
自証分だけでは、それが真に成立したと誰が“認識”したのか不明確。
それゆえ:
✅「証自性分」が、それ(=自証分の認識作用)を、現量(妄想のない直接認識)として確定させる役割を果たす。
✅ 総まとめ
| 観点 | 内容 |
|---|---|
| 「証自性分は現量」 | 誤りのない内在的な自己認識。分別を交えない「依他起的な成立」。 |
| 現量が意味するもの | 外界の実在ではなく、「妄想を交えない、識内の真実在のような作用」 |
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