これはとても重要な問いです。
以下、段階を追って整理します。
■ 結論から先に:
疎所縁(外境)は、現量の「対象」として仮立されるが、唯識の立場からすれば、それは「認識に現れるもの(相分)」の〝根拠〟ではあっても、認識の〝直接的対象〟ではない。
したがって、
現量は疎所縁に依拠するが、疎所縁を直に認識するわけではない。
■ 用語整理:
◉ 疎所縁(そしょえん)
- 他の縁(親所縁・増上縁など)と異なり、「心の作用の外部にある〝事〟」として仮定されるもの。
- 依他起性に属し、此縁性縁起に従って形成された仮有の「現実的事態」。
- 例:人間の認識作用が起こる以前にすでに成立していた自然現象(例えば、人類誕生前の小川の流れ)。
◉ 現量(げんりょう)
- 三量のひとつで、「直接的に正しく対象を捉える認識」。
- 煩悩や推論を介さない、純粋直観的な了知。
- 唯識では、「相分(対象表象)」を見分(認識主体)が直に捉える作用とされる。
■ 疎所縁と現量の関係のポイント
① 現量において「見られる」のは相分である
唯識の立場では、現量における認識対象は「疎所縁そのもの」ではなく、「識に現れた相分(像)」である。
つまり:
人間の心は、疎所縁そのものに直接触れるのではなく、それが縁となって生起した「相分(イメージ)」を認識する。
② では疎所縁は不要なのか?
→ いや、不要ではない。
疎所縁は、相分が生起するための因縁であり、存在論的根拠である。つまり:
- 認識の成立(相分の現前)に必要な「依他起性」の条件。
- ただし、認識の「内容」として現れるわけではない(=不可知)。
③ 『成唯識論』と四分説における位置づけ
四分説においては:
- 相分 … 表象された対象
- 見分 … 認識作用
- 自証分 … 見分を認識する主体
- 証自証分 … 自証分が「真実であるか」を証知する作用
このうち、疎所縁は 相分の「縁」として背景にあるが、四分の内部には入らない。
■ たとえで言えば:
◎ 暗闇でロープを見て「蛇だ!」と思ったケース:
- 疎所縁:実際に道端に横たわるロープ(依他起的に成立した実在)
- 相分:識に映った「蛇のような像」
- 見分:「これは蛇だ」と判断した認識作用
- 証自証分:「よく見たらロープじゃないか」と照らして判断する作用(現量に近づく)
この場合、「現量」とはロープという疎所縁に対応した「正しい相分」による直接認識だが、それとてロープそのもの(疎所縁)を見ているわけではない。
■ 補足:なぜ「疎所縁=現量の対象」ではないのか?
- 唯識では、識の働きから完全に離れたもの(自相)は認識され得ない(不可知)とする。
- 認識対象となるのは必ず「識に映った像(相分)」であり、その相分が疎所縁に依って仮構されたものだとしても、直接見ているのはその像。
■ まとめ:
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 疎所縁 | 現量認識の背景にある「此縁性縁起」によって成立した実在的条件 |
| 現量 | 疎所縁に依って識に現れた「相分」を、煩悩や推論を交えずに捉える作用 |
| 両者の関係 | 疎所縁がなければ相分は成立せず、相分がなければ現量も成り立たない |
| 注意点 | 現量の対象は疎所縁ではなく、あくまで「相分」である |
通報 ...