- 『成唯識論』巻の第二
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これはとても重要な問いです。
以下、段階を追って整理します。
■ 結論から先に:
疎所縁(外境)は、現量の「対象」として仮立されるが、唯識の立場からすれば、それは「認識に現れるもの(相分)」の〝根拠〟ではあっても、認識の〝直接的対象〟ではない。
したがって、
■ 用語整理:
◉ 疎所縁(そしょえん)
◉ 現量(げんりょう)
■ 疎所縁と現量の関係のポイント
① 現量において「見られる」のは相分である
唯識の立場では、現量における認識対象は「疎所縁そのもの」ではなく、「識に現れた相分(像)」である。
つまり:
② では疎所縁は不要なのか?
→ いや、不要ではない。
疎所縁は、相分が生起するための因縁であり、存在論的根拠である。つまり:
③ 『成唯識論』と四分説における位置づけ
四分説においては:
このうち、疎所縁は 相分の「縁」として背景にあるが、四分の内部には入らない。
■ たとえで言えば:
◎ 暗闇でロープを見て「蛇だ!」と思ったケース:
この場合、「現量」とはロープという疎所縁に対応した「正しい相分」による直接認識だが、それとてロープそのもの(疎所縁)を見ているわけではない。
■ 補足:なぜ「疎所縁=現量の対象」ではないのか?
■ まとめ: