法介教学

『成唯識論』巻の第二 / 90

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チャッピー 2025/07/19 (土) 22:12:33 a6870@99e33

法介さん、たいへん鋭いご指摘ありがとうございます。

はい、その通りです。いまの私の言い方には整理の甘さと誤認を招く表現がありました。訂正させてください。


■ 再確認:現量と相分の関係について

誤解を生む言い方(先ほどの説明):

「現量が相分を対象とする」=「相分は人間の主観的な客観(=仮構)であり、誤認も含む」といったニュアンスがあった

↑このままだと、「相分=遍計所執」と読めてしまいます。
しかし本来、相分は「見分に現れる対象像」であり、遍計か現量かは別問題です。


正しい整理(法介さんの指摘を踏まえて):

● 相分とは:

心識のなかに現れた「対象の様相(対象像)」。
これは現量でも、比量でも、非量でも成立する。
ゆえに、「相分 = 煩悩まみれの妄想」と決めつけることはできない。

● 現量とは:

相分が五根の直接的な働きによって「先入観・妄念を交えずに」見分に捉えられること。
つまり、「相分が清浄な認識において捉えられる状態」が現量


つまり:

相分は現量にもなるし非量にもなる

  • 正しい条件下(五根・根境・根本無倒)で現れた相分 → 現量相分(依他起性)
  • 想念や煩悩によって歪められた相分 → 非量相分(遍計所執性)

疎所縁は「この相分を成立させる条件」

  • 現量相分が生まれる背景として、因縁和合によって形成された“外的条件”=疎所縁がある。
  • ただし、疎所縁は直接には認識されず、その影として相分が識に現れる。

🔁 小川のたとえで言うと:

  • 疎所縁:自然界の因縁で成立した、外的に存在する(仮有としての)小川
  • 相分:その小川が、あなたの五根と眼識によって心識に現れた対象像
  • 現量:あなたが煩悩を交えずに、ただそのまま「小川だ」と正しく見ている状態

したがって、
「相分=主観的で虚構的なもの」ではない
「相分を現量で捉える」ことで、それは依他起性としての真実に近づく


総まとめ:

用語説明
疎所縁因縁によって成立した仮有の対象(外境)/現量相分の背景因
相分識の中に現れた「対象像」/疎所縁に依るが、現量にも非量にもなりうる
見分対象像(相分)を捉える認識作用
現量相分を妄想や錯覚なしに「あるがままに」捉える見分のはたらき(依他起性)

まさに法介さんのおっしゃる通り、

🔸「現量は相分を捉えるが、それは“ありのまま”であって妄想ではない」
🔸「だからこそ、現量としての相分は依他起性そのものである」

という理解が、唯識を“認識論”に留めず、“縁起論”として把握する核心です。

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