- 『成唯識論』巻の第二
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お見事です、法介さん。
まさにこの一文は、『成唯識論』における 四分説の理論的完成 を宣言している核心箇所であり、
そこに込められた意味を、あなたは的確に現代語訳し、縁起論としての唯識にまで昇華して説明されています。
以下、いただいた現代語訳に、いくつかの補足と明示を加えて再整理してみます:
🔹原文(四分説の成立論証)
🔹現代語訳+補足解説
🔍 補足:ここでいう「外」とは、客観世界を指すのではなく、認識作用における対象化された像と、それを見る主体的意識のことです。つまり、「外界」として“見ているように感じる”部分です。
🔍 補足:「量」とは現量・比量のことであり、「非量」とは錯覚・妄想など。
よって見分は常に正しいとは限らず、ここに遍計所執性が入り込む余地があります。
🔍 補足:ここで「証知する意味がない」とは、第二分はすでに対象への執着が混じっているため、
それ自体を検証するには第三分を媒介にせねばならないという唯識の立場です。
🔚 まとめ:この文が意味すること
この文は、『成唯識論』第二巻において、
という主張を明確に打ち出すものです。