>> 2の中の↓この部分について詳しく解説しておきます。
問う、「どうしてそれが分かるのか」。
答える、「論主が偈を説いているからである」。
その偈に曰く――
「因縁所生の法を、我れはすなわち空であると説く。」
この偈は「通教の大乗」を示し、「無生の四諦・四沙門果・三宝」を説く。
また偈に曰く――
「また仮名と名づく。」
これは「別教の大乗」を示し、「無量の四聖諦・四沙門果・三宝」を説く。
また偈に曰く――
「また中道の義とも名づく。」
これは「円教の大乗」を示し、「無作の四実諦・四沙門果・三宝」を説く。
智顗の「四種四諦」とその根拠
智顗はここで『法華玄義』で説く「四種四諦」(生滅・無生・無量・無作の四諦)の
・無生の四諦
・無量の四聖諦
・無作の四実諦
を持ち出して説明しておりますが、
この「四種四諦」は、彼自身の独創的理論ではなく、仏典および龍樹の「四悉檀」を基盤として組み立てられた理論です。
根拠1:大乗経典に散見される「四諦の多様な相」
- 『大般涅槃経』では「四聖諦を知る智」に 中智(声聞・縁覚の智慧) と 上智(菩薩・仏の智慧) の二種があると説かれる。
→ ここに、四諦が「衆生の根機や智慧の段階によって異なる観じられ方をする」という発想の端緒がある。 - 『勝鬘経』にも「有作四諦・有量四諦・無作四諦・無量四諦」の記述があり、四諦を多段階に区分する思想が確認できる。
根拠2:龍樹の「四悉檀」との対応
智顗は『法華玄義』で、四種四諦をそれぞれ四悉檀に対応させている。
- 生滅の四諦 → 世界悉檀(凡夫の世俗的理解)
- 無生の四諦 → 為人悉檀(二乗を導くための方便)
- 無量の四諦 → 対治悉檀(菩薩の修行を助ける)
- 無作の四諦 → 第一義悉檀(仏の究極的立場)
つまり四種四諦は、龍樹の「衆生機根に応じた四つの説法の在り方」をそのまま四諦観に展開したものと理解できる。
根拠3:「人空・法空・非空」の区別による整理
智顗は「生滅」「無生」の二諦を人空(声聞・縁覚の智慧)とし、「無量」「無作」の二諦を法空および非空(菩薩・仏の智慧)に位置づけた。
→ これは「第六意識(凡夫・二乗)」と「第七末那識(菩薩・仏)」との境界を基準とした分類である。
このように智顗の「四種四諦」は決して彼の恣意的創作ではなく、仏典(特に『涅槃経』『勝鬘経』)や龍樹の「四悉檀」を根拠として再構成された「教相判釈」で、その意義は、経典の多様な四諦観を体系化し、衆生の機根に応じて四諦をどう理解すべきかを整理した点にあるといえます。
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