更に、龍樹のテキストの中には、俗諦・真諦・中道第一義諦の三つが「三諦的」に並び立っている場面が数か所見受けられます。
1. 龍樹の三層構造的な言及
例えば『中論』や『大智度論』では、以下のような構造が読み取れます。
- 俗諦 — 世間の仮の存在(仮名・施設)
- 真諦 — 諸法空相(空性の理)
- 中道第一義諦 — 空と仮を即一に観じた究極の立場
龍樹は明示的に「三諦」という語は用いませんが、真諦を説明する中で「中道第一義諦」という第三の視座を独立して述べる場合があります。
特に二十四章十八偈や『大智度論』巻五では、
- 縁起を「空」と見る(真諦)
- その空を「仮名」と観る(俗諦)
- 両者を分別せず中道と観る(中道第一義諦)
という三層がほぼそろっています。
2. 智顗の三諦との関係
天台智顗は、龍樹の中に含まれていたこの三層構造を整理・体系化し、
- 空諦(真諦)
- 仮諦(俗諦)
- 中諦(中道第一義諦)
の三諦円融として公式化しました。
つまり、龍樹の段階では名称としては二諦が基本ですが、実質的には三諦的な観法を内包していた、とも読めます。
3. 重要ポイント
- 龍樹は二諦の説明の中で、中道第一義を「真諦」と同格ではなく、別の最終視点として扱う場合がある。
- それを「三諦」と明言するのは智顗以降だが、原型は龍樹の段階にすでに存在している。
- この点を重視すると、「龍樹も実は三諦論者だった」という見方が成り立つ。
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