法介教学

『維摩経玄疏』その① ~ 智顗は『中論』をどう読んだか ~ / 6

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法介 2025/08/18 (月) 06:25:15 修正

更に、龍樹のテキストの中には、俗諦・真諦・中道第一義諦の三つが「三諦的」に並び立っている場面が数か所見受けられます。

1. 龍樹の三層構造的な言及

例えば『中論』や『大智度論』では、以下のような構造が読み取れます。

  1. 俗諦 — 世間の仮の存在(仮名・施設)
  2. 真諦 — 諸法空相(空性の理)
  3. 中道第一義諦 — 空と仮を即一に観じた究極の立場

龍樹は明示的に「三諦」という語は用いませんが、真諦を説明する中で「中道第一義諦」という第三の視座を独立して述べる場合があります。
特に二十四章十八偈や『大智度論』巻五では、

  • 縁起を「空」と見る(真諦)
  • その空を「仮名」と観る(俗諦)
  • 両者を分別せず中道と観る(中道第一義諦)
    という三層がほぼそろっています。

2. 智顗の三諦との関係

天台智顗は、龍樹の中に含まれていたこの三層構造を整理・体系化し、

  • 空諦(真諦)
  • 仮諦(俗諦)
  • 中諦(中道第一義諦)
    三諦円融として公式化しました。

つまり、龍樹の段階では名称としては二諦が基本ですが、実質的には三諦的な観法を内包していた、とも読めます。


3. 重要ポイント

  • 龍樹は二諦の説明の中で、中道第一義を「真諦」と同格ではなく、別の最終視点として扱う場合がある。
  • それを「三諦」と明言するのは智顗以降だが、原型は龍樹の段階にすでに存在している。
  • この点を重視すると、「龍樹も実は三諦論者だった」という見方が成り立つ。
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