【展開予想】
自分、月島の話いいですか?
211話以降月島がどうなっていくのかというのがやはり今一番ナウでホットなトピックだと思うんですが、月島研究の端くれとしてちょっと今後の予想を立てておきたいなと。答えあわせ早くきて欲しいけど怖い!
すっごい長いよ!
210話によって構造的にはっきりしてきたなと思ったのは、鶴見の兵として徹底しきれぬ「月島基」という人間を見つめ直し肯定していく旅であった樺太の経験と、鶴見の計画に邪魔になるなら排除する汚れ仕事を引き受ける捨て鉢人生に残された鶴見劇場かぶりつきという身の振りようは全く反りが合わないんだなと。
なので今後、ここが衝突してくるというのは結構確信してきました。
これは作劇上の必然性の問題で、そうならないのなら樺太での月島の揺らぎを丁寧に書いた意味がわからない。
実際樺太の旅が月島を主体として見ていくとどういうものだったかというと、これは「鶴見の兵として最適解ではない月島基の選択」が随所でこぼれ出てくる旅であったわけです。
この象徴的な例が岩息とスヴェトラーナですね。鶴見には写しではなく皮ではくてはならないものであるはずの人皮を取らずに岩息を脅して逃し、明らかに任務を優先させるべき時にスヴェトラーナの方に行ってしまった。
この二人は月島自身、月島の過去を映写した存在であり、だからこそ強い共感が生まれやすくその対応に鶴見の兵としての相応しさを越えるような言動が溢れ出やすかったのだと思います。
そしてスヴェトラーナ周辺で月島が対応していくことは、月島がその腹の底に溜め込んでいた過去を、こう言いたかった、こうしたいとやりなおしていく代償行為であった。
そして手紙を届けてスヴェトラーナの母にぎゅっとされ、月島軍曹ではなく月島基としての選択というものが受容され肯定された。あの表情もう最高ですね。こんなときどんな顔をすればいいのかわからない月島基です。
そんな樺太を経た月島が今後自ら選択していくのなら、それがどんな答えであるにせよもう唇を噛み締めながら粛々と受け入れるほかない…と水曜日までは思ってましたが210話で意見を変えました。月島、思ってた以上に深すぎるところにいた。
樺太は月島の自己肯定の旅で、そこで肯定を得たこそ樺太以降は…という見込みは甘かった。ちょっと生半可じゃない自己肯定感の低さと甘い嘘を見続けることもできぬ残酷な立ち位置。
自分は無価値であり(これは父を殴り殺し自分はああはならないと思っていた男と同じものになった時に、内面化されてた自己責任論が牙を剥いた形の自己認識だと思ってます)、ゆえに自分がされたことに対して憤ることなど許されてないという認識。
自分には人権などなくなにをされてもしょうがない。ついて行く者たちは救われれるんだから文句などないはずだ。せめてとんでもないものを見せてくれるのだろう鶴見劇場をかぶりつきで見てやろうという、腹の底の怨念が反転したような乾ききった主体性。
自己肯定をボコボコにされてる上に立脚している鶴見劇場に自己遺棄的に身を殉ずる姿には、ぐちゃぐちゃになった人生に残されたものでどうにかロジックを組み立て立っているような痛ましさがあり、その痛ましい姿は姿でよく立ってるよ、頑張ってるよと肩を叩きたいんですが、樺太の旅というのはぐちゃぐちゃにされ切ったと思ってた「月島基」を自己肯定し、その上でなにかを選択していくことができる可能性を描いていたわけなので、ここは今後ぶつかり合っていかなければいけないはずだし、後者に勝っていってもらわないと月島ウォッチャーとしてつらいです。
また、価値がない自分に怒る権利などない、と自分を抑圧してますが月島、怒りを全然強く持っているんですよね。「あなたたちは救われたじゃないですか」という言葉は自分が強く理不尽を受けていることへの僻みであって、無意識的なのかもしれないですが自分の状況に納得なんて全くしてないわけです。
いごちゃんの髪を捨てても全然ぐちゃぐちゃとした気持ちを捨てられてなかったりしてますし、元々彼はきっとどれだけ強く押し込めてもせり上がってくる強靭な心を持っている。この月島基の心の強さ、それを表に出し肯定されていった樺太の旅の経験を、今後信じていきたいです。
最終的に月島が鶴見の下から離れるか離れないかというのは常にどっちだ〜と頭を抱えてきてるんですが、210話で離れるの方の賭け金が増えました。
今後すぐに岩息の皮の問題、すなわち月島の独断で岩息を逃して写しだけを残したけれど、鶴見としては皮であることが本物であることを担保するという考えを持っているということが待ち構えているわけです。
鶴見はその時普通に月島を疑うんじゃないかなと思ってるんですが、今までは月島がその時どう反応するのかが見えてこなかった。
けれど、210話で月島がかなりギリギリの成り立ち方をしているとわかった今、あこれめちゃくちゃ危ないなと。
つまり、鶴見が月島を疑うことで、月島を今の形として成り立たせている糸がぷつんと切れてしまう可能性があるんじゃないかと。
「あなたたちは救われた」という言葉は鯉登や尾形に対しての憎しみであり、それは自分だけはそうじゃないという卑屈でありました。鶴見に付いていってる者は救われるんだから文句なんてないだろうと人ごとのように語り、甘い嘘を信じていることも許されなかった。
そんな中で鶴見劇場のかぶりつきであるということだけが、月島に唯一残されている特典なわけです。月島が疑われるということはつまり、その座すら許されなくなる可能性があるということ。
これはねえ、結構やばいと思います。
それだけでもう全て瓦解してしまうぐらい、月島はギリギリのところに立っている可能性がある。それぐらいの印象がありました210話は。さてどうなりますかね。
もう一つ、「大団円」問題というのがありますね。ここも少し。
出典は作者のインタビュー回答だったかと思うんですが、現在その言葉が結構一人歩きしているようなムードがあり「大団円」=みんな死なない、という意味では少なくともないということをキロランケが証明してしまった時に、結構衝撃が広がってた気がします。
ただ自分はその件で逆に、あ、作者もしかして、登場する人々全員が自分の選択に納得していくこと(生死は問わず)をもってして「大団円」であると考えているのかもなあ、なら「大団円」というのもあるのかもなあと思うようになりました。
アシㇼパが思い出したことでキロランケは、この旅に意味はあったのだと思えるようになって亡くなる。これはとても好きな描写でした。月島がスヴェトラーナからの手紙を彼女の両親に渡したことなんかもそうですが、ともすれば非常に小さな「役目」、こういう、人にとっては小さいけれど個人にとって非常に重要なこととして描かれるのはなんともいいです。
これから他にも誰かが死ぬかもしれない。けれども全員がどこかしら自分の人生を納得をしていくことはできるのではないかなと。そして苛烈な囚人たちや江渡貝くんのようなはみ出した人たちの多くに、当人にとってはどこか優しい最後を与えてきた作者なので、そこはちゃんと描き切ってくれるのだろうと思ってます。
誰かは死ぬかもしれないけど、それは当人にとっては納得のいくところで迎える死なんだろうと。それが「大団円」であると言っていく気なのかもなあと。
誰が生きるか、これはわからないですね。アシㇼパと鯉登は個人的に生きるラインで確定出してます。彼らは「未来」の位置付けなのでまあ死にはしないだろうと。谷垣もアシㇼパを連れて帰るという役目を負ってる(物語の終わりはここになるんじゃないかな)生きると思います。あとは正直わからない。杉元、尾形は若干生きる寄り、鶴見、土方は若干死ぬ寄りで、でもどちらの可能性もある。