金カム考察シンポジウム

オープニングシンポジウム議事録 令和元年8月30日  / 139

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ョゥ@司会 2019/08/30 (金) 23:22:32

【考察のキッカケ】
https://zawazawa.jp/knkmf/topic/28/30
こちらの投稿、「祝福」「愛」「神」の概念についての考察を2件いただいています。

https://zawazawa.jp/knkmf/topic/20/1
こんばんは。
「祝福」「愛」などの概念が当時存在していたかについて考えてました。聖書自体は1887年に『明治元訳』が出てます。尾形がロシア語を学ぶにあたっても、ある程度宗教(ロシア正教)に触れなければならないのかなと思います。したがって、原作でそれら概念について言及されても、そこまで不自然ではないと考えました。

https://zawazawa.jp/knkmf/topic/20/4
議題【登壇者の皆様が考察をするきっかけになったのはどの話/エピソード】
タグ【考察のキッカケ】
こんばんは。皆様の議論楽しく拝見しています。
尾形の「祝福」「愛」「神」という概念が何処からやってきたかですが、少なくとも幼少期に家庭の中で培われたものではないはずですので(因みに明治時代の庶民の一般的な宗教観ってどのようなものなのでしょうか。仏教?神道?)、尾形の母殺しの理由は(西洋的宗教観を知った後の)後付けなのかもしれないなあなどと思いました。
わたしも鶴見中尉から輸入されたのではないかと思っています。鶴見中尉は過去回想が囚人関谷輪一郎と対になっていますし、父権的な考え方の根底に一神教の価値観を感じます。「罪穢れ」の考え方も一神教からなんでしょうか?鶴見中尉によって自分の幼少期からの渇望が言語化され、その後の人生もそれに囚われていましたが、最終的には鶴見から卒業することでそこから解放されるのでしょうか。尾形には母性的な宗教観による自己肯定が求められているのかもしれないですね…まさしくアイヌの「天から役目なしに降ろされたものはひとつもない」が救いになるのですね…!
考察ではなくただの感想ですみません。

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