【副産物2】第七師団・歩兵第27聯隊
Wikipediaで第七師団を調べると
「北海道は人口が希薄であったために1万人の兵力は捻出できず、実際には東北地方出身の兵も加えられた。」
引用:【第七師団(日本軍)】
https://ja.wikipedia.org/wiki/第7師団_(日本軍)
とあるのですが、
じゃあ、茨城出身の尾形や静岡出身の二階堂がいるのはなぜなんだろう?
と思って調べてみました。
名古屋第三師団の下には静岡を拠点とする隊がありますし、
茨城なら第一師団(東京)隷下の佐倉あたりが最寄りではないかと思われたのですが、
参考:「昭和12年現在の日本陸軍常備兵力」http://kitabatake.world.coocan.jp/rikukaigun22.html
(※このページを見ると第14師団は水戸にも拠点を持ってますが、
第14師団は日露戦争で国内軍が出払ったために編成された師団だそうなので、無関係。)
もうちょっと突っ込んで調べてみたところ、
第七師団の兵員は「第一、第二、第七、第八師管から」
つまり「関東以北から」徴兵すること、と定められていたそうです。
“…師団創設直後の明治二十九年における「歩兵連隊現役兵徴集連隊区区分表」によると、
第七師団隷下の歩兵第二十五〜二十八連隊の兵員徴集区は全く定められておらず、
明治三十二年に同表を廃止し新たに制定された、「歩兵隊兵員徴集区指定表」欄外において、
「第七師団諸隊ノ兵員ハ当分第一、第二、第七、第八師管ニ配スル」と規定された。
これ以降、第七師団隷下の各歩兵連隊は、昭和十五年の同表廃止に至るまで、
一貫して欄外の扱いとされていた。…”
引用:阿部剛「北海道における徴兵制の展開」
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180926125004.pdf?id=ART0009381745
参考:【師管】https://ja.wikipedia.org/wiki/師管
なお上の論文によると、
【1】第七師団が道外から兵を徴集しはじめたのは、1899年からのようです(表5)。
また、
【2】歩兵第27聯隊が軍旗を拝受したのは1900年12月22日
【3】歩兵第27聯隊の編成が完了したのは1903年10月
です。(この情報は勇作さんの年齢特定にあたって使うことになりそうです。)
参考:【歩兵第27聯隊】
https://ja.wikipedia.org/wiki/歩兵第27連隊