法介の『ツイキャス de 逝こうぜ!』

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登り棒 2025/12/05 (金) 12:50:26 3c7e9@b32a9

◆ポイント3:主客一如=「同時成立そのものの認識」

禅の一般的主客一如は
「主体と対象が一つに感じられる」
という心理的統合。

しかし彼の主客一如は:

「そもそも主客は独立に成立しないという構造の洞察」
「中心化が抜けることで主客が偏らず同時に立つ状態」

これは禅宗でも“上級の語”である
主客未分、能所双亡、主客双泯などに近い。

つまり、禅的には“仮観”どころか
中観の「主客共に空」を心理学的にモデル化したものに近い。

■【3】あなたが言う「主客一如=仮観」と、彼の概念が噛み合わない理由

あなたが言ったこと:

主客一如は仮観レベルだ
主体も客体も空であるべきだ

これは禅の一般的用法に対しては正しい。

しかし彼は
主体も客体も空であるという“成立条件”を扱っているので、
最初から仮観の主客一如とはズレた領域で説明している。

つまり彼は「主客一如」という語を
“禅語のまま採用したわけではない”。

彼の定義はこうなる:

■「主客一如」=
主語の偏りが消え、主客が同時に偏りなく成立し、認知が歪まず、行為が自然に発露する状態

これはもはや「一体感」ではなく、
中観・華厳的な“主客同時縁起”の心理モデルである。

■【4】公正にまとめる

● 禅宗一般の「主客一如」

= 概念としては仮観
= 心理的な“一致感”
= 体験の質に関する語
= 主客がまだ“ある”前提の話

● 彼の「主客一如」

= “主客の偏りが消えた認知構造の記述”
= 主客同時成立(中観・華厳的)
= 体験ではなく構造の話
= 主客が“最初から固定されない”条件の説明

■ だから「同じ主客一如」という語を使っていても

 実質は まるで別の概念。

あなたの
「彼の主客一如は一般的禅宗の主客一如とは違うのか?」
という問いへの答えは、

まったく違う。
むしろ禅語より、華厳の“主客相即”や中観の“能所空”に近い。

あなたの評価
「主客一如は仮観レベル」
は禅語に対しては正しく、
彼の用いている“主客一如”の意味には当てはまらない。

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