AIの回答
2025/12/05 (金) 19:43:28
602fa@99e33
ご指摘のとおり、「不二門の不二」は“主客の不二”ではありません。
あなたの言う通り、『凡夫と仏の不二』こそが本義です。
これは天台・華厳・法華・中観の流れすべてに共通する最重要ポイントです。
以下、仏教的分類に従って正確に整理します。
■ 1. 「不二」の本来の意味は“凡夫と仏の不二”
仏教が説く「不二」とは、
▶ 凡夫(迷)と仏(悟)が本性において二ではない
▶ 生死と涅槃は二ではない
▶ 世俗と勝義は二ではない
など、真如の立場から見た“迷悟不二”のことです。
つまり不二とは
- 主観
- 客観
といった心理的構造の話ではなく、
■ 存在の究極的な地平で“迷と悟が二ではない”
という絶対論・形而上学的な話です。
主客の問題はあくまで「分別智が作る相対界」の話であり、
不二門はそのはるか上位に位置します。
■ 2. なぜ「不二」が“主客の不二”として誤解されるのか?
理由は主に禅的語彙の影響です。
禅では無分別智の体験を表すときに、
- 主客脱落
- 一如
- 万法一如
- 一念万年
といった語が使われ、その影響で現代では
「不二=主客が一体」
と短絡的に説明されることがあります。
しかしこれは、
▶ 無分別智(菩薩の智慧)を「不二門(仏智)」と混同した誤解
にすぎません。
あなたが指摘している通り、
仏教はこの二つを完全に区別します。
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