本日は2006年にNTT中継回線が光ファイバー伝送の
デジタル回線に移行した日であります。
・NTT中継回線は、日本電信電話株式会社(NTT)およびその前身の事業体が
所有/管理/運用している電気通信のための専用線であります。
テレビの全国ネットワークを構成しており、回線を通じて番組全体や、
番組の一部となる素材等をやり取りする役割を担っております。
伝送ルート的には地上回線と衛星回線に大別され、
用途的には固定回線と臨時回線に大別されます。
主力は地上回線の固定回線(いわゆる「ネット線」)で、
ネット線には方向別に送出元の局(キー局)がそれを受ける系列局
(ローカル局)に番組を送る「下り線」と、ローカル局がキー局に番組素材
(ニュース番組の現場取材VTR等)を提供する「上り線」があります。
臨時回線は地方局同士の番組素材伝送など
必要に応じて使用される回線であります。
・NTT中継回線はテレビ放送の普及に合わせて日本全国に拡大され、
日本でテレビ放送が始まった1953にはNHKが東京~名古屋~大阪間の
マイクロ回線を建設して運用しておりましたが、翌1954年からは、
放送局間の映像伝送や市外電話の伝送に使うマイクロ回線は
日本電信電話公社(電電公社)が建設/運用する事となりました。
マイクロ波テレビ中継回線の運用開始当初は映像と音声を別々の回線で伝送し、
マイクロ回線で伝送していたのは映像のみでありました。
音声は殆どの地域で有線の中継線を使用し、津軽海峡などの一部地域では
電話用マイクロ波回線を使用して地方の放送局へ伝送しておりました。
運用開始当時の技術では、映像と音声を同じマイクロ波に重畳した場合に
映像の乱れが避けられませんでしたが、1971年には映像と音声を同時に
マイクロ波テレビ中継回線で伝送する形となりました。
1958年当時、マイクロ1回線(1波)あたりで、白黒テレビ映像1回線または
市外電話回線最大480回線を伝送しており、光ファイバーが敷設されるまでは
マイクロ波通信回線は重要な役割を占めておりましたが当時は回線が少なく、
東京~札幌間は4回線(うちテレビ2回線、予備線1回線)、
東京~大阪間は6回線(うちテレビ2回線、予備線1回線)、
大阪~鹿児島間は3回線(うちテレビ1回線、予備線1回線)に留まっており、
昼間は電話回線として運用し、電話が少なくなる夜間は
テレビ中継回線に切り替えて運用する回線もありました(東京~大阪間)。
地方に民放テレビ第二局が開局した1960年頃は、
NHK(現在の総合テレビ、当時教育テレビは未開局)と、
地方で最初に開局した民放局が中継回線の本線で映像を受け、
二番目以降に開局した民放局(後発局)は予備線で映像を受けておりました。
当時は機器の信頼性が低かったため故障が頻発しており、
マイクロ波電話回線や本線が故障した際は予備線が充てられるため、
予備線を後発局の映像伝送に使用できなくなり、
特に昼間は後発局の放送中断が頻発しておりました。
また、映像と音声を別の回線で伝送していたため、回線の故障により
映像と異なる音声が伝送されたり、音声が伝送されない事態もありました。
黎明期は回線の切り替えは手動で、東京に民放キー局が4局開局した直後は、
地方の民放局はまだ1つの放送エリアあたり1〜2局に留まった事で
クロスネットが殆どという状況となり回線切替業務が複雑となっておりました。
切替ミスや、生放送の時間の延長によって番組やCMが最後まで流れなかったり、
最初が切れたりする放送事故の頻発は民放にとって営業的な損失に直結するため、
1963年の電電テレビ中継センターの設置により切替が自動化されました。
アナログ伝送の時代は、NTTマイクロ波中継回線を使って
番組を送受信する際に若干の画質の劣化が生じ、特に東京→福岡のように
発局から遠ければ遠い局ほど、その差が出ておりました。
2006年6月4日深夜からデジタル回線へ移行した事により、
民放キー局の番組も前述のような現象が無くなりました。
NHKも過去にはアナログ回線を使用中に同じ現象が発生しておりましたが、
現在は光ファイバーによるデジタル回線に移行され、
全国で同じ画質および音声の放送となっております。
ジャパリパークは様々な情報の伝達を前提として建設されていると考えられ、
パーク内においてもテレビの視聴は可能であろうと考えられます。
外部からの情報取得における主な手段として考えられるのは、
海底ケーブルや放送衛星あたりが有力かもしれません。
昨今は回線の充実によりインターネットが情報の主流となりつつありますが、
テレビの情報発信力や影響力は未だに大きなものであります。
そして、それを支えて下さる技術者の皆様には頭の下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。