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箸墓古墳に埋葬されてるヤマトトヒモモソノヒメは、孝霊天皇の娘だけど、その孝霊天皇は「欠史八代」の一人でもある。
これは神武・崇神同一人物説で、間の8人はいなかったという考えで私は支持でも不支持でもないけど、もしも箸墓古墳がヒメの墓でそのヒメが卑弥呼ならば、現代人に「欠史」と言わせるほどじゃなくもっと盛大な伝説を持ってもいいはず。親魏倭王がいくら巫女的でも「天皇の娘」では終われないと思う。天皇そのものじゃなくても、神功皇后なみの大活躍が残ると思う。
箸墓=卑弥呼の墓説では、箸墓古墳の構造を詳しく調べたら前方部と後円部が不連続だったらしい。つまり元は円墳で、前方部は後から増築されたと見られるんだとか。
台与の権力は、後からはともかく即位当初は弱かったはず。なぜなら魏志倭人伝で台与が唯一、年齢の記録がある人物だから。つまり「13歳」は、特に記録すべき情報だったと思う。それに現代の感覚の13歳とは違うとは言っても、数え年だと満での11~12歳。自分の力で乱を鎮めるのはどう考えても無理。
あの壮烈な天才・始皇帝ですら、13歳で秦王に即位して数年間は、実権は呂不韋にあった。
東遷するにはプル要因とプッシュ要因が必要になる。プッシュ要因が狗奴国の圧なら、その行き先がなぜ畿内なのか、プル要因があるハズなんだ。それは山口にせよ四国にせよ同じ。そちらのプル要因は「近いから」。
神武東征の出発点は日向。日向は九州の東にあって太陽が昇るから日向でもあるけど、日に向かって出発した地点だから日向とも言える。邪馬台国は太陽信仰の宗教国だから、どこかに行くとしても中国地方や四国の西岸では理由が立たない。みんなを納得させられる宗教的で希望的な理由が必要だ。そんなんじゃ根拠が薄いって思うかもしれないけど、昔の宗教の力は現代人の感覚と比較にならないし、今でも「日本」というくらい太陽はヤマトのアイデンティティなんだから。
九州の邪馬台が畿内に遷ってヤマトになったと言う私としては、畿内のヤマトが九州の邪馬台国を滅ぼしたっていうのは取りたくない考えだけど、否定できないんだよね。畿内と九州にはつながりがあった。では、どちらがどちらを征服したのか。記紀によると九州が畿内を征服した形になる。また、銅剣銅鉾文化が今の三種の神器に受け継がれる一方、銅鐸文化が継承されていない点もそれを支持する。
それと、前方後円墳という特徴的な様式がどうしてできたのか、と考えると、方墳と円墳が合体したと考えるのが最も合理的だと思う。方形部分はただの祭壇という説もあるけどね。合体なら、なぜ合体する必要があったのか。このときに、オオクニヌシの国譲りが関わっていそうで興味深い。
魏志倭人伝に関しては、「邪馬台国はどこか?」がすごく激論される割に、「狗奴国はどこか?」はいまいち影が薄い気がする。言うまでもなく両者は切っても切れない宿敵。畿内説をとれば、邪馬台国が伊都国を通じて魏と交流があったんだから邪馬台国の勢力圏は畿内から九州に及ぶ広範な地域となる。狗奴国は少なくともそれと互角に戦ったから同程度の力を有しているはずなんだけど、狗奴国の場所は邪馬台国の南。奈良盆地あたりに邪馬台国を想定すると狗奴国の居場所がない。
そこで、畿内説では「南」は「東」の誤りだという主張をここでも使って狗奴国を濃尾平野あたりに想定したりする。たしかにそれなら強力になるけど、ここでも「南」を「東」に変えなければならない。1箇所だけなら転記ミスと言えても2箇所にそれは通用しない。本当に方角を間違えたとしか言えないんだけど、指南車を持ち出すまでもなく、倭人も含めて太陽の方角を間違えるわけがないんだよね。
さらに「七万余戸」の邪馬台国に次ぐ「五万余戸」の投馬国についても考えないといけない。投馬国の正体は出雲説とか薩摩説とかあるけど手がかりが少なすぎる。でも邪馬台国について考えるなら、国力で匹敵しうる狗奴国や投馬国の位置も避けて通れない。
それと伊都国。魏の出先機関があったとされる重要拠点で糸島に想定される。面白いことに伊都国=奴国説もあるんだよね。どっちにしても場所は大して変わらないけど、金印の「漢委奴国王」は「漢の委(倭)の奴の国王」と読むのが一般的ながら「漢の委奴(いと)国王」説もある。奴国が倭国大乱で単に衰退して無力化したのではなく、実は邪馬台国の勢力圏ながら漢から魏にかけて大陸とつながりを持つ重要国であり続けたという可能性もあるわけで。
天皇の万世一系については、仮に神武=崇神説をとれば綏靖~開化はなくなってしまうし、普通に別人説でも同名であることから神武王朝と崇神王朝は別という説もある。さらに仲哀と応神での王朝交代説もある。そして武烈と継体の交代説。天智と天武の他人説。本当に複雑だけど、100%確実に言えることは今の天皇が継体天皇の子孫ということで、どんな説をとっても継体から先は「万世一系」が成立する(天智天武他人説をとっても天武系は断絶して天智系に戻ってるから)。
これらの王朝交代説が全部本当とは言わないけど全部嘘とも言えないわけで、現実に蘇我馬子はあっさり崇峻天皇を殺してるし、どこかで交代しててもおかしくない。天皇が直接に政治権力を握ってた時代はすごく複雑だっただろうね。