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「常識陣」 / 187

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オビディ✩.*˚ 2025/03/21 (金) 19:17:48 >> 186

前方後円墳が円墳と方墳の合体なら、前方後方墳は何だったんだって話もあるね。
前方後方墳と前方後円墳はそれぞれ方墳と円墳の拡大で、その違いはもともとの出自によるものだったっていう説もある。
まあこっちだと今度は前方部の由来はなんなんだってなるけどね。
国譲りの話もそうだし、そもそも記紀には大和を制して天皇になったって言われてるからね。
九州勢力が畿内を攻めた説と畿内勢力が九州を攻めた説の両方で合点がいくようにすれば、どちらかが先に攻めて後にその報復で勝利を収めたっていうストーリーも可能ではある。
最終的に畿内に拠点を置いたってところがポイントだけどね。
ちなみに磐井の乱は九州勢力の最後の反乱だと言われてるね。

狗奴国の位置の「東」の原典は『後漢書』倭国伝の記述だね。
この書物の倭国の記述は基本的には既存の史料を引用したものなんだけど、なぜか狗奴国の位置を南じゃなくて東にしてる。
これを書いた范曄は南朝の宋の人で、政治家であり文学者でもあったから、単純に読み間違えて書いたとは思えないという点がある。
伊都国が奴国説は「王有り」って記述から考えられなくもないけど、それにしては「千余戸」で少なすぎる感じがするし、その次にしっかり奴国が出てくるからたぶん違う。
あるとすればこの奴国の二万余戸と合わせてひとつの国だった可能性かな。
また、奴国が大陸と交流を持ってた可能性は充分有り得るし、卑弥呼が朝貢できたのも奴国ありきだったかもしれない。
ただ、投馬国の五万余戸はたしかに気になるね。

天皇家の正統性の話をしたけど、個人的には台与と天皇家が血縁で繋がってたらロマンあるなって思う。
卑弥呼とは直接血はつながらないにしても、台与が卑弥呼の血縁である可能性はあるし、そうなると間接的に卑弥呼とも繋がるわけで……。
まあほぼほぼ有り得ないと思うけどね。

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