特に日向に聞いてみたいんだけど、皆ってゲームに対する今のモチベーションはどれくらいあるの?
というのも、俺はここ1~2年で時間がないことを言い訳に、色々と積みゲーをしてしまっている。
そうは言っても、その内の何個かはやろうと思えばできたし、時間を確保する努力もある程度はできた。
それなのに結局プレイどころか開封すらしないままでいるのは、「いつでも出来るから」という安心感があるから。
俺のこの安心感は「ワクワク感のなさ」とも言い換えられる。興味はあるけど、やりたくてやりたくて堪らないというほどでもない。けど、いつかはやってみたい、やらずに人生を終わりたくないという程度の気持ちだから、いつでもできる環境、つまり買って手元に置いておく状況に落ち着いてしまう。
小中学生の頃は確かにあったんだよ。ワクワク感が。
この世にどんな面白いゲームがあるのか、それを知らない幼心があったからこそなんだと思う。
それに加えて、子どもは好きなゲームを自由に手に入れられない。それを買うかどうかは親が権利を握っている。
その不自由さがあるから、誕生日とかゲームを買ってもらえるチャンスが来た時に備えて「えー!どれにしよっかなー!」ということを普段から考えるわけだ。
俺が小中学生の時は、基本的に任天堂製品でゲーミングライフを過ごしていた。
友達が皆持ってたし、ポケモンとかは純粋に楽しかった。
一方で俺は親が遊んでたPS2で、任天堂製品にはないゲームの面白さを既に知ってしまっていた。
だから結局遊ぶことのなかったPS3のゲームは、まさにその俺のワクワク感を最も高めることになった。
FF13も、グランツーリスモ5も、龍が如く4も、本当にやりたくて仕方なかった。
でもPS2しかなかったから、FF12、グランツーリスモ4、龍が如くで我慢した。
それが高校生になって、PS4を買ってもらった。それも、アンチャーテッド4がセットになった特別版。今も手元にある、現役のゲーム機だ。
俺の人生でプレステが返り咲いた瞬間だった。それはもう本当に楽しかったし、面白かった。長い間触ってなかったプレステが、いつもCM越しにしか見てなかったゲームが、今手元にある。そしてそれを実際に触って遊んでいる。感動すら覚えた。
大学生になる頃には、お金も自分で稼げるようになった。何を買って何で遊ぶか、自分で決められるようになった。感動を覚えたゲーム体験がいつしか当たり前になっていた。
そして社会人になり、今に至る。独り立ちして、自分の面倒を全て自分で見なければならなくなったものの、大学生の頃よりも遙かに自由度が増した。
誕生日でもないのにPS5だって買ったし、ゲーミングPCだって買えた。さすがに高い買い物だったけど、エミュレーターを使えば、あらゆるゲームがいつでも遊べる環境が手に入ったのは、ゲーマーにとっては最高だ。
なのにそこに感動がない。嬉しい気持ちはあるのに、それほどワクワクしていない。
舌が肥えてしまったんだと思った。認めたくないけど、もう俺にとってゲームは特別なものじゃなくなったんだと。
大人になるとはこういうことなんだろうか。