Quoraのゴミ箱:Vol.21
ゆる言語学ラジオの初回で似た話があった。
言語学の父と呼ばれるソシュールは
単語は差異でしか決まらない。
それ1つが存在しているだけでは、単語は生まれない。
それ1つとは違う別の何かがあって初めて単語が生まれるのだ。
と言った。
例えば、この世に「ペン」しかないのであれば、「ペン」という単語は生まれない。
区別しないといけないものがないのだから、その単語は必要にならない。
例えば、馬へんの漢字には次のようなものがある。
・馬(薄い黒色の馬)
・駿(速い馬)
・騮(赤毛で尾が黒い馬)
日本人にはおよそ馴染みのない漢字で、いつどこで使うのか存在意義すら疑わしい。
けれども、漢字発祥の地である中国にはかつて馬がたくさん生息していた。それらを区別するために単語が作られたことには合点がいく。
我々からすれば「馬」だけで十分だから、馬へんの漢字は日常ではそう見かけない。
これらはつまり、各言語が「こう分けたら便利だよな」と設定していることになる。
単語が生まれるのはそういう経緯があるというのが彼の言い分だ。
実際、他の言語にも当てはめて考えることができる。
英語では「クロコダイル」と「アリゲーター」で区別しているところを、日本語では「ワニ」と一纏めにしている。
一方で、その日本語は「蝶」と「蛾」を区別するが、フランス語では「パピヨン(papollon)」と一纏めにされている。
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