「『列伝』の本文は、「古ソフィスト術は「哲学的」弁論術と考えるべきである」という言葉に始まる。さらに少しあとに、これを説明する次のような一節が見られる。
「古のソフィスト術は、哲学的問題までをも主題に掲げて、これらを長広舌で語っていた。すなわち、勇気について語るかと思えば、こんどは正義について語り、そして英雄たちや神々について、さらには宇宙の姿はいかにして出来上がったのか、ということまで語っていたのである。」(『列伝』VS.481)
ここでは、哲学的な弁論術ῥητορικὴ φιλοσοφοῦσα とは、哲学的な問題φιλοσοφούμεναをもその主題に掲げるような営みである、と敷衍されている。これに対して、「第二の」ソフィスト術については次のように説明される。
「この後にくるソフィスト術は これは「新しい」と呼ぶべきではなく(古くからあるものだから)むしろ「第二の」と呼ぶべきものであるが 、貧乏人や金持ち、王侯や独裁者たちを描き出し、歴史上の個々具体的な論題を扱った。」 (『列伝』VS.481)
これが「第二ソフィスト」ἡ δευτέρα σοφιστικήという用語の由来となった一節であり、また古代におけるこの言葉の唯一の定義でもある。ここでの「第二の」という形容は時代区分を意味するものではない、と著者はわざわざことわっている。じっさい、『 列 伝 』 において「第二の」ソフィストとして最初に言及されるのは前4世紀の弁論家アイスキネスであり、これを額面どおりに受けとるなら、「第二のソフィスト術」は前 4 世紀にまで遡る、ということになろう。ところが、その次に言及されるのは紀元後1世紀にスミュルナを中心に活躍したニケテスであり、以降、著者の時代に至るまでの 40 人にのぼるソフィストたちに関する記述が続く。したがって実質的には、紀元後 1〜3 世紀の文学活動を指して「第二ソフィスト時代」という名称を用いること自体に、ほとんど不都合はないといってよい。 」