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歴史語り

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人類の歴史は戦争の歴史...そんなのは嘘だ。
語られないだけで、どんなものにも歴史はある。

ナチュラル
作成: 2025/09/01 (月) 18:59:10
最終更新: 2025/09/03 (水) 22:05:34
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ナチュラル 2025/09/08 (月) 23:30:59

【悲報】反日中国人女児、号泣・・・「日本人を皆殺しにしたい」 : オレ的ゲーム速報@刃
【悲報】反日中国人女児、号泣・・・「日本人を皆殺しにしたい」の記事ページ
オレ的ゲーム速報@刃

歴史はそれを語る奴にとって都合の良いように語られるもんだ。
事実であるかないかに関わらずな。

2
オビディ✩.*˚ 2025/09/22 (月) 23:01:24

日本の戦争のはじまりは弥生時代、耕作技術とともに入ってきたと言われてる。実際環濠集落やら大規模な争いの痕跡は、弥生時代に入ってから出てくるものなんだよね。
で、弥生時代に入って戦争が始まった理由は、農耕文化によって食糧が貯蓄できるようになったからだとされてるんだけど。

逆に、食糧がない方が相手の食糧奪いたくね?って普通に思うし、狩猟採集社会である縄文時代が平和な時代だったっていうのがあんまり信用できないんだよね。

3
なぐも 2025/09/23 (火) 01:24:25

>> 2
よく知らんけど人口密度の問題もあったんじゃないかな。農耕社会になると食糧が安定的に手に入るようになって人口が増える。そしたら戦争も大規模になる。
縄文社会は狩猟採集メインだったから人口も少なくて、交流はかなり遠方に及んだかもしれないけど広域支配できるほどの権力もできにくく、戦争が起きても人が少ないから小規模だったとか。これがモンゴルみたいな平原だったら馬で突っ走って戦争しそうだけど日本の地形では難しそうだし。
全然よく知らんけど。

4
オビディ✩.*˚ 2025/09/24 (水) 23:41:11

>> 3

人口密度はむしろ大きくなってる可能性があるんだよね。
というのも当時の日本って縄文海進で平野部が海に沈んでるから今より土地はかなり狭くなってるから。
だから縄張り争いとかはあったと思うんだけど、実際どうなんだろうね。

データでみると、縄文中期に中部から関東に集まった後、東北に移ってるんだけど、その後の弥生時代の人口密度と比べると全然違う(弥生時代の人口密度がかなり大きい)から懐疑的だ。
なんていうか、縄文時代の痕跡がはっきり残ってるところが少ないからとかそういう理由を考えてしまう。

そもそも縄文時代というか、狩猟採集民族って人口が少ないのかが大きな疑問。
たしかに気候に左右されるのはあるけど、特に日本はどっちかというと海産物をとって過ごしてただろうから食料は安定的だったんじゃないかと思ったり思わなかったり。

5
なぐも 2025/09/25 (木) 02:43:54

常識的には狩猟採集よりも農耕のほうが大きな人口を支えられそうだけど、その常識が真かどうか。
世界人口の推移を見ると農耕開始あたりから急激に増えてるグラフを見たことがある。ただし日本の縄文時代は温暖で食糧はそこそこ採れただろうから世界人口の推移をそのまま当てはめられるかっていう疑問はある。

でも、狩猟採集文化から農耕文化に推移したってことは、農耕文化のほうにメリットがあったからで、そのメリットとは何かといえば真っ先に思い浮かぶのが食糧の安定確保。食糧が安定確保できれば人口も増える。理屈上はそうだと思う。現実はしらんけど。

ここからは歴史というかロマンの世界になっちゃうけど日本のコメはどこから来たんだろうね。私が子供の頃は朝鮮半島経由と習ったけどDNA的にはそれは違って長江のほうから直接来たような。
で、徐福伝説が出てくるんだよなあ。始皇帝を騙して巨船を作って童男童女千人を連れて五穀の種を持って東海に行っちゃった…それが日本だった説。日本にコメを持ち込んだのが徐福だったりしたら面白いなあって、ロマンの話。
富士山だとか熊野だとか佐賀だとかに残る伝説は後世の作り話かもしれんけど、徐福が東海に出たのなら途中で遭難しなければ日本に着いた可能性は十分ある。
徐福は斉の人間だからそこのコメの品種が日本のコメとDNA的に一致するのかどうかね。

6
オビディ✩.*˚ 2025/09/25 (木) 22:54:41

>> 5

私は日本の米は長江文明の系譜を引く弥生人がもたらしたものだと思ってる。
ちなみに縄文人と弥生人は別物っていう前提。

というのも、縄文時代にも農耕の跡が見つかってはいるんだけど、とても小規模で原始的なんよね。
それが弥生時代になって一気に規模が大きくなったこと。
で、魏志倭人伝の倭人の風俗の記述からどうも魏志の筆者は越の文化だと断定してる。
例えば、倭人は大人も子供も入れ墨をしてるんだけど、越にもそういう文化があって、邪馬台国は越からみてちょうど東にあたるって記述があったり、所有物に関しては南越国と同じだという記述がある。
南越と越は違うっていうのは置いといて、要するに長江文明の系譜だって言ってるんよね。

でもって黄河流域と長江流域ではとれる作物が違うから(黄河流域は粟が中心、現代でも小麦が中心)、北から入ってきたとは思えない。

まあ長江文明は近年の発掘でわかったことだから全然研究が成熟してない。
もともとは黄河文明だけがわかってて中国文明だとされてきたものが、近年になって黄河文明と長江文明、そして四川文明の3つがあることがわかってる。
ちなみに黄河文明は夏王朝(中原)の系譜、長江文明は越や楚、呉の系譜、四川文明は古蜀王朝の系譜だとされてるね。

7
オビディ✩.*˚ 2025/09/29 (月) 18:44:00


これ面白いな。

8
オビディ✩.*˚ 2025/09/29 (月) 19:00:26 >> 7

ちなみに武田は今川攻めがターニングポイントだと思う。
アレで義信との対立が先鋭化して義信事件に発展したから今川攻めを断念してればまだなんとかなった。
ただおそらく義信が家督を継いだあと、今川の駿河復帰に積極的になるから結局駿河侵攻してるだろう。その時は徳川のものになってそうだし。
すると北条家との関係がどうなるかってところ。

北条も今川との関係がズブズブ(そもそも北条家の関東進出のキッカケが今川家だし)だから、北条家が武田をどうみるかで長篠の戦いと同じ結末を辿るかが決まりそう。

9
なぐも 2025/09/29 (月) 21:25:28

>> 8
私としては川中島で上杉に勝てなかった時点で詰み。
海無しの武田は同盟国の今川から塩を買ってて何かあると「塩止め」で脅されてたそうだから日本海か太平洋かどっちかに出なければ詰んでた。謙信に勝てれば日本海に出られたけど勝てなかったから太平洋に出るしかなくなって今川を攻めた。そこで義信との対立が起きて、太平洋には出られたけど義信を失った。だから上杉に勝てなかった時点で詰み。
ただ義信が家督継いでたIF世界がどうなったのか分からんけど。

11
オビディ✩.*˚ 2025/10/02 (木) 20:24:31 >> 9

>> 9

それで言うなら、村上義清を逃がしたのも大きいだろうな。
武田家は信虎以降何度か信濃侵攻してるけど、基本村上義清によって敗北させられてるし、勝った戦も村上義清と同盟を組んで攻めたもの。
事実砥石崩れで武田信玄は大敗してて、砥石城落城も真田幸綱の謀略がなかったら勝てなかったとも言われてる。
その後の川中島の泥沼化も上杉謙信に村上義清が戦術を教えたから、みたいな話もある。
たしかに北信濃の地の利に関しては上杉氏よりも村上氏にあるだろうし、戦術を教えてもらってても不思議じゃない。

ただ、信玄が日本海を取ろうとしてたかはどうだろう。
頭の片隅にはあったかもしれないけど、信濃侵攻のキッカケは目下の甲斐国人の残党狩りだと思ってる。
そもそも信虎が信濃侵攻したのは諏訪頼満が甲斐国人と連携したからだし、実際に信濃国佐久郡には武田と争った跡部氏の領地があったわけでここを攻める理由にはなりえた。
その後、海野平の戦いで佐久郡を得たけど、今度は信濃国人との争いに発展して……って感じに見える。

10
えああ 2025/10/01 (水) 08:04:51 修正

逆に、食糧がない方が相手の食糧奪いたくね?って普通に思うし、狩猟採集社会である縄文時代が平和な時代だったっていうのがあんまり信用できないんだよね

「デカい戦争は無かったけど抗争や略奪はあった」とかじゃないかな。
食糧がなくて困ってる集落が取れる選択肢は、狩猟採集による自給or略奪or滅亡の3つ。
備蓄が限られている社会では略奪の費用対効果が釣り合うかどうかちょっと怪しい。
リスク相応の略奪品を獲得できる見込みは低そうに思える。

それと、持続的な稲作体制は受け皿の弾力性がかなり低そう。
食糧事情のアベレージスコアでは狩猟採集社会を上回るけど「不作の年」とかでヤバいほど沈む感じ。
緩急がエグい。常に一定の摩擦があるのではなく、瞬間的な最大摩擦が高くなる。
これも戦争が起こりやすくなる原因だと思う。

あと、鉄器類が入ってきたのもデカいと思う。
エジプトや中国なんかの文明が「石器⇒青銅器⇒鉄器」って段階を踏んだのに対し、弥生時代は「石器⇒青銅器+鉄器」って感じで一気にジャンプしてる。
縄文時代の「格差」のスケールが「あの集落には超強い戦士がいる」とかそういうレベルだったとして
それが弥生時代で「軍備・兵力差」まで一気にスライドした感じだ。

「全ての集落に農耕技術と鉄器を配布」みたいなゲームのアプデみたいなイベントがあったわけじゃない。
まだ石器でイノシシを狩猟してる集落が先に一歩進んだ集落に蹂躙される、そんな時期を経たはず。
どこかの集落が武装すれば、近隣集落も武装せざるを得なくなる。
軍拡競争が始まる閾値のようなものを踏み越えたのが弥生時代なんだと思う。

12
なぐも 2025/10/03 (金) 02:46:39

>> 11
「詰み」の定義にもよるだろうけど、私は戦略的にどうやっても打開策がなくなった状態を詰みだと思ってる。
村上義清が謙信のところに逃げたのは痛手だけどそれは「詰み」じゃないと思う。信玄はその時点で謙信との戦で勝ち筋がなくなったとは思わないから。でも現実に勝てなかったから、その時点で詰みかと。
武田は巨大な内陸国になってしまったからどうしても塩が必要。
・今川を攻めない→自前で塩が入手できない→詰み
・今川を攻める→義信の家督相続がなくなる→詰み
どちらを選んでも詰み。将棋の投了場面みたいになってる。
動画にあるように信玄が死んだ時点で詰みとかいう考え方もあるけど人はいつか死ぬものだし勝頼では戦は強くても家中がまとまらなかったと思う。長篠の戦いで負けた時が詰みという意見もあったけど長篠はすでに負け確、詰んだあとの戦だったと思う。
そんなふうに考えると義清が謙信に転がり込んだのは信玄を不利な状況に追い込んだものの詰みには至ってないと思う。
武田の最大弱点は海がないことだから今川と同盟して嫡男の嫁を今川から迎えた時点で日本海進出は必要不可欠だったと思う。日本はヨーロッパなんかと違って岩塩がとれるわけでもないし巨大大名として海なしは致命的。

あとは何かの本で「甲斐金山を掘り尽くしたから詰んだ」みたいなこと書いてたのもあったなあ。

13
オビディ✩.*˚ 2025/10/03 (金) 20:24:27 修正

>> 12

正直塩が必要だった、っていうのがイマイチ信じられないんだよね。
敵に塩を送るっていう逸話も武田家だけど、他に塩で困った話を聞かない。
仮にそうだったとしても日本海に面してなくても流通ルート確保でなんとかなったはず。
まあ流通ルートだけじゃなくて塩そのものを確保できるようにするのが最善策ではあるけども。
深刻というほどのものでもない気がしてる。

他の内陸国との比較とかない?
真田家が塩で困った、みたいな話とか。

14
なぐも 2025/10/03 (金) 21:54:14

>> 13
「敵に塩を送る」は謙信が信玄に塩を送って正々堂々と戦ったという、謙信を持ち上げるための逸話だけど史実ではないらしい。実際は信玄と敵対して「塩止め」してたんだとか。
今川も「塩止め」を外交カードにしたらしいから他の流通ルートからでは必要量に足りなかったんじゃないかな?

上杉も今川も大大名だから影響力が大きいし、真田くらいなら経済制裁をかいくぐることができても武田ほど巨大化したら必要量も多くなって裏ルートで入手できるくらいでは足りないのでは。仮に足りる量を確保できたとしても足元を見られて物凄く高価で買わねばならなくなる。生存に絶対必要なものを自前で入手できない上に封鎖されたらどれほど困るか。

戦前の日本が石油禁輸で追いつめられて勝算の立たない開戦に突っ走った事実もあるし、今の日本が米国や中国のような大国から食糧禁輸を食らったらどうなるか。

武田の規模で海を持たなかったほかの例はないだろう。
もっとも、上杉が「塩止め」で武田に制裁してたとか、同盟国の今川は売ってたけど外交カードに使って武田を困らせてたとか、ずいぶん昔に私が読んだ本に書いてた内容が嘘っぱちなら話は根本的に変わってくる。

15
なぐも 2025/10/03 (金) 21:58:20

「敵に塩を送る」というのも、真偽はどうあれ武田が塩に困ってなければ謙信を「義将」として持ち上げる美談にならないよね。

16
オビディ✩.*˚ 2025/10/03 (金) 22:42:32

>> 14

どうやら今川が塩止めした話は史実らしい。
今川氏真になってから義信を幽閉したことへの当てつけで、北条巻き込んでやったそうだけど、その時は信濃経由で織田・徳川から買ってたらしい。
ちなみにこの時は上杉謙信は何もしてないそうだよ。
で、すぐ義信が死んだから、その嫁の帰還を迫ってきたから甲駿同盟が危うくなって、駿河侵攻につながってくるとか。

で、武田ほど巨大化したら、っていうけど、信濃侵攻当時は侵攻できる余裕ができたとはいえ、それまで信虎以前まで身内同士の泥沼合戦や、それ以前の甲斐守護代との争いもしてたからそこまで大きくはないよ。
やっと一国支配できたくらいの話なんだよね。

まあそれは置いといて、ほぼ一国支配してて、かつ内陸なのは美濃土岐氏とかかな。
そしてその跡を継いだ斎藤氏。

あとは、戦国以前の甲斐の関係とかかな。
甲斐国が他の地域ありきの国だとしたら、甲斐一国+塩がとれる地域、みたいな褒美だったりしそうだなって。

17
オビディ✩.*˚ 2025/10/03 (金) 22:49:42 >> 16

あと、話とは関係なくて純粋に読んでみたいから良かったらその本教えて欲しい。
古い本なら国会図書館のデジタルアーカイブにあるかもだし。

18
なぐも 2025/10/03 (金) 23:22:33

>> 17
悪い、それが多分20年以上前に読んだやつで、その後何度も引っ越してるから手元になくて分からなくなってる。ほぼ捨てたとみていい。

信濃侵攻当時は甲斐一国でも村上と何度も衝突してどうにか勝って上杉とぶつかった時は甲信二国持ってたでしょ。塩の自給率0%で困らないほうがおかしくないかな。もちろん流通は完全封鎖されないとしても必要量を手に入れる調達コストは高かったはず。コストは海から遠いほど上がるし、困れば困るほど足元を見られてさらに上がる。
この頃は金山収入もたぶん落ち目だったのでは。

斎藤は尾張がグダグダ内紛してた頃は一致して塩止めされないからいくらでも調達できたでしょ。困るとしたら義龍が信長と敵対してからかな。

19
なぐも 2025/10/03 (金) 23:41:32

まあ日本史のなかで一番人気の戦国時代の、さらにトップレベルで人気の武田氏の問題で、私なんかの知識レベルで推論したって穴はいくらでもあるわな。私が穴がないほど完璧に説明できたらそれはもう歴史ファンやら歴史オタクの議論ネタにすらならない訳で。

ただ私はこういう見方をしてますよ~っていう話をしてるだけだよ。

20
オビディ✩.*˚ 2025/10/04 (土) 18:40:44

>> 19

別に間違ってるって言いたい訳じゃないよ。
ただの知的好奇心っていうか、純粋に気になって。
ふつうの歴史学とはまた違った角度からのアプローチだから。

21
オビディ✩.*˚ 2025/10/04 (土) 19:58:58 修正

>> 10

あー、たしかに費用対効果がないっていうのはあるかもしれない。
後の中国の北方騎馬民族と南の農耕民族との争いみたいなのを想像してたけど、アレは対農耕民族っていう構図だから縄文時代のそれとは戦う意味が違う。
まあ縄文時代にもちょっとずつ定住する文化ができてムラ社会ができつつあったらしいからどれだけ備蓄できてたかにもよるけど。

ついでに言うと、縄文時代には略奪する旨みはあっても侵略する旨みはなかったのかもしれない。
農耕は拡大すればするほど土地や人員が必要になってくるから弥生時代には侵略戦争になっていった。
逆に、それが少ない縄文時代には略奪する旨みはあっても、侵略して土地を開拓するっていう発想が生まれにくかったんじゃないかと。

それが弥生時代になって農耕文化が入ってきて、侵略する発想が生まれて、より戦いに勝つ必要ができたのと同時期に青銅器や鉄器が入ってきて蹂躙するようになったって感じ。