American_Crusoe
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2025/07/14 (月) 15:57:52
「すでに指摘したとおり、フィロストラトスのいう「哲学的」弁論術 ῥητορικὴ φιλοσοφοῦσα とは、そこで扱われる論題の性質についての表現であると考えられる。そうであるならば、著者が古のソフィスト術と「第二の」それとを区別する最大の基準は、扱われる題材の違いにこそあった、という見方が成り立つのではないか。
ところで、論題の性質に応じて弁論術を分類する際のひとつの基準として広く知られていたのが、前2世紀のヘルマゴラスが提示したとされる、「一般論題」θέσιςと「個別論題」ὑπόθεσις との二分法である。すなわち、およそ弁論術の扱う論題は、「個別具体的な状況を伴わないもの」(=前者)と「それらの規定を伴うもの」(=後者)とに分けられる、という基本認識が、ヘレニズム期以降のギリシア修辞学において一貫して共有されることになる。
このうち前者の「一般論題」については、たとえばキケロは『発想論』において、それに該当する例として「名誉のほかに善はあるか」、「感覚は嘘をつかないか」、さらには「世界の形状はどのようなものか」といった論題を紹介している。また後者は、弁論家たちが扱ういわゆる「模擬弁論」declamatio / μελέτη の題材に一致すると考えられ、そこでは通常、具体的な人物、時代状況等が設定される。」
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