AIに課金してる喧嘩師に初めて遭遇した!😮
私は、ChatGPT、Gemini、Grokをすべて無課金で併用しております。
また、「AIのべりすと」という小説に特化したAIも使用、『大論界』シリーズという喧嘩界隈を題材にした小説を書いております(アングラサイトのためリンクは貼りません)。
さらに、「Suno」「Udio」「Mureka」などの音楽に特化したAIを使って、これまた喧嘩界隈をテーマに喧嘩師の言動や掲示板のログなどを題材にした「オペレーション・カルピス」という活動をやっており、喧嘩界隈の人たちに参加してもらっております。
【オペレーション・カルピス】
https://youtube.com/playlist?list=PLMogLd_ULU7uFVhwoQ3kiA-Bybnc1AYfN&si=gXJ9uj6ohuPL4ZaN
いずれも、無課金・無収益、つまり今のところは単なる趣味の範囲内です。しかし、完全無料でかかっている時間や労力も生活の負担になるほどではないのに、これほど楽しめる。まったくよい時代になったものです。今まで受動的に行ってきた映画やドラマやアニメの鑑賞が、「何か小説や曲の参考にならないか」という能動的なものとなり、この主体性の獲得だけでもめちゃくちゃ得をした感じです。
AIを使った創作に関しては、特に商業的なものについては、もはや将来的にAIを使わない創作などありえない不可逆なフェイズに入りつつありますが、黎明期ゆえにまだまだ反AI的な思想も根強く、特に絵やイラストや漫画の界隈は早期からAIに学習させることに対する反発が強かったわけですが、それを他人事のように傍観してきた小説などの文学界隈でここ最近、AI小説が投稿サイトのランキングを荒らしたり、「人間の作品とAIの作品の見分けがつかなくなったから」ということでリアルワールドの伝統的な川柳コンテストが終了してしまったりと、ついに黒船がやってきた感があります。そして文学界隈の人が「既存の文学作品をAIに学習させるのはやめよう!」と言い出すと、それに対して絵やイラスト界隈の人が「あんたら、俺らが苦しんでる時に無邪気にAIで作ったイラストを小説と一緒に載せとったやないか!」と反発するなど、内紛すら起こりつつあります。
その一方で、音楽界隈は皆無とは言いませんがAIに対する反発が異常に少なく、それが何故なのかについての考察が旧ツイッターXなどでなされています。私が納得した説をここに抜粋すると、
(1)音楽界隈では、昔から洋楽などからのパクリ(よく言えば「インスパイア」)は当たり前である上に、サンプリングやループなど、今AIがやっているようなことを人力でやってきたから。
(2)絵や文学と違って、音楽は構成要素が少なく有限であり、とっくの昔にあらゆる組合せがなされてしまった後であり、そうしたいわば「永劫回帰」の状況の中で作られている音楽は100パーセント人間が作っていたとしても「AI的」で、もはや人間が作ったのかAIが作ったのかを区別する必要が薄れてきているから。
(3)音楽そのものの在り方が変化しており、かつては「音楽」というものが他の創作から独立したそれ自体で成立する創作であったのに対し、そうした「ヨーロッパ近代的」な芸術観は、音楽だけでなく、絵画や文学でも崩壊してきており、「その創作はいったい何のために行われているのか」「その創作はいったいどんな具体的な文脈をもっていて、どのように機能するのか」ということが問題になってきているわけです。しかし、よく考えてみれば、日本の古来の音楽なども特定の祭や行事や風習と結び付いていたわけで、具体的な文脈やコミュニティとの結び付きを離れては存在し得なかった。坂本龍一が生前、アフリカで自分の曲を演奏した時に、現地の人に「それは何のための音楽ですか?」と質問され、呆然とただ立ち尽くすしかなかった、というエピソードがありますが、実はアフリカの人の音楽観の方が地理的・歴史的には普遍的なんですね。そういう「音楽」を独立した創作とみなさない文化においては、曲のオリジナリティや芸術性などというものはさして重要ではない。それが具体的な文脈やコミュニティと結び付いてどう機能するのか、ということの方がはるかに重要なわけです。
とまあ、こういう流れを意識しているフリをしつつ、喧嘩界隈を題材にして遊んでおるわけですね(笑)。