~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『色即是空 空即是色』 No.16 / 8

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法介:世親はどんな三昧法を行法として説いている?

チャッピー:よいご質問です。結論から言うと――


🔶世親(ヴァスバンドゥ)は、特定の「名詞としての三昧法(般舟三昧・首楞厳三昧など)」よりも、

「唯識三昧」あるいは「如実観(如実知自心)」としての行法を重視
という立場に立っています。

以下、世親の立場から見た三昧のあり方、特に『唯識三十頌』とその注釈・関連論書(『三十頌釈』『十地経論』など)を手がかりに整理します。


🔷1. 世親の行法的特徴:如実知自心

世親が唯識思想の行法的帰結として最も強調するのは、

「如実知自心」――自己の識のはたらきを正しく観知すること
「識の転依」――八識が転じて四智となる内面的な実現

これを成立させるための行法が、止観一体の三昧(瑜伽)、すなわち:

「唯識観」=「心の働きを静めつつ、縁起と識の仮構性を観照する行」
が中心になります。

この行法のことを、天親や無着との共著的色彩をもつ『摂大乗論』では明確に次のように表現しています:

「由止得定、由観得慧」
「唯識相応の定と慧を双修して、煩悩を断じ、勝義を悟る」


🔷2. 特定名称の三昧についての扱い

世親の著作(とくに『十地経論』『摂大乗論』『唯識三十頌』)には、「般舟三昧」や「首楞厳三昧」という名称はほとんど登場しません。しかし、それに相当する内容は別の言い方で説かれています。

例えば:

◉初地菩薩の三昧

『十地経論』(初地の説明)では、以下のような三昧の段階が説かれます:

  • 「現前勝定」:仏や法の真実相が心に現前する禅定。
  • 「勝三昧」:すなわち智慧と禅定が融合した如理作意の止観行
  • 菩薩はこの三昧によって、自己の識を観じて滅し、真如に契入する。

これは般舟・首楞厳という語は使っていないが、内容的には:

  • 「仏を観ずる」般舟三昧的実践 → 初地の観法
  • 「実相を現観する」首楞厳三昧的実践 → 三地以降の智慧行
    に相当します。

🔷3. 唯識行法の三段階(三性との関係)

世親は三性説(遍計所執性・依他起性・円成実性)を根本に据えた行法の流れを明確にしています:

三性対応する行概要
遍計所執性観破諸法に実体性なしと観じる(無自性観)
依他起性縁起観識の因縁による仮の生起を観ずる
円成実性如実観心が真如に即するあり方を直観する(識の転依)

この全体が、**「唯識三昧」**という体系的な行法になっていると考えられます。


結論:世親における三昧法の要点

観点世親の立場
三昧名称の扱い特定の固有名詞(三昧名)は重視しない
行法の中心止観双修による「唯識観」
到達目標「如実知自心」→「識の転依」→「真如証悟」
三性との関係三性に基づく三段階の観法としての三昧

🪷補足:法相宗では?

日本の法相宗(とくに玄奘系)では、世親のこの行法体系を:

  • **「唯識止観」「唯識三昧」**として再構成し、
  • 実践面では「阿摩羅識(第九識)」思想を含めたより深層の内観法へ展開しています。

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