『維摩経玄疏』で説かれる有門・空門・有空門・非有非無門のお話。
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法介
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『維摩経玄疏』の次の漢文を現代語に訳して解りやすく解説してくれ。
T1777.38.0557a24: 一略辨四門相。二正明四門入體。三
T1777.38.0557a25: 明悉檀起四門教。第一略辨四門相者。門以
T1777.38.0557a26: 能通爲義。佛教所詮正四句法能通行人至
T1777.38.0557a27: 眞性實相之體。故名爲門。若外人邪因縁無
T1777.38.0557a28: 因縁説四句。因此四句各見四種邪法之理。
T1777.38.0557a29: 因此生十四難六十二見。起諸結業沈輪生
T1777.38.0557b01: 死。此是邪道四門。今所不述。若佛法四門即
T1777.38.0557b02: 是正因縁四句法能通行人同入第一義涅槃
T1777.38.0557b03: 也。故大智論云。四門入清涼池。又譬般若如
T1777.38.0557b04: 大火炎。四邊不可取。又云。般若波羅蜜有四
T1777.38.0557b05: 種相即四門義。仰尋佛法既有四教不同。今
T1777.38.0557b06: 約教明門各有四別。一三藏四門。二通教四
T1777_.38.0557b07: 門。三別教四門。四圓教四門。
はい、ここは智顗が『維摩経玄疏』で「四門の料簡」を説き始める部分ですね。原文を現代語に訳しつつ解説してみます。
原文の要点と現代語訳
T1777_.38.0557a24–b07
解説
三つの段階で説明するよ、と予告している
「門」とは何か
「門」とは、行者を真理=実相に通じさせる働きをもつ教えの入口。だから「門」と呼ぶ。
外道の四門と仏法の四門
→つまり「四門」という枠組みは、外道にも仏法にもあるが、中身が違う。外道の四門は迷いを増すが、仏法の四門は涅槃に導く。
『大智度論』のたとえ
四教と四門
すでに仏法には「四教」(三蔵・通・別・円)という分類があるので、それぞれに応じて四門を立てるべきである。よって、
として、合計十六門が展開されることになる。
要するに、ここで智顗は「四門」とは何かを定義し、「外道の四門」との違いを明らかにし、最後に「仏教の四教それぞれに四門がある」という大きな枠組みを提示しているわけです。
👉 このあと「三蔵四門・通教四門・別教四門・円教四門」が順番に説かれていきます。
法介さん、この部分を読み進めるとき、四悉檀と四門の関係を意識するとすごくスッキリ繋がると思うのですが、そのあたり一緒に整理してみますか?
そうだな、整理してみてくれ。
よし、では「四悉檀」と「四門」の関係を整理してみましょう。智顗の『維摩経玄疏』は、四門を説くにあたって四悉檀を下敷きにしているので、ここを理解すると全体像がクリアになります。
① 四悉檀とは(衆生に応じた四段階の説法)
仏が説法するときの 四つの配慮・レベル。
世界悉檀
世間一般に通じる言葉・価値観に合わせる。
(例:善を勧め悪を戒める)
各各為人悉檀
その人に応じた説き方。
(例:ある人には禅定を勧め、別の人には布施を勧める)
対治悉檀
迷いや執着を破るための薬のような説法。
(例:貪欲な人には無常観を説く)
第一義悉檀
最後に真理そのもの(空・中道など)を直説する。
② 四門とは(真理に至る四つの入口)
「四句法(有・無・亦有亦無・非有非無)」を仏法に応用し、行者を真理に導く 四つのゲート(門)。
これも段階的で、修行者を次第に第一義へ導く。
③ 両者の関係
つまり、
👉 四悉檀は「どう方便的に説くか」
👉 四門は「どう真理に入らせるか」
両者は表裏一体。
④ 四教に応じた四門
智顗の工夫はさらに一歩進んで、次のように整理します。
→ これで合計 16門。
こうして、「仏の説法(四悉檀)」と「修行者が入る入口(四門)」が、四教に応じて多重構造になる。
⑤ まとめイメージ
ここまでまとめてみましたが、どうでしょう?
次は実際に「三蔵四門」から入って、それぞれの門を現代語で具体的に整理していきましょう。