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この部分は「円教」の立場から、同じ「法性」に入っても、その覚りの深浅・働きの広さによって声聞・菩薩・仏に差があることを説明しています。
ここでは「不思議法性」という表現がキーワードになっています。
現代語訳
第三に、「共に般若経を説く」中で、円教の立場から、不思議なる法性・実相における同異を明らかにする。
声聞が法性に入るときは、ただ法性だけを見る。まるで虚空のように何も所有しないと観ずる。
菩薩や諸仏が法性・実相に入るときも、やはり法性を虚空のように見る。しかし、彼らは虚空のような法性の中で仏の知見を開き、法界の一切の法を円満に照らし出すことができる。
虚空のような法性に同じく入り、そこに何も所有しないという点では「同じ」である。
しかし、諸仏・菩薩は、その虚空のような法性の中で法界の一切を円満に照らす。この働きこそが「不思議法性」であり、その点で「異なる」。
そこで、舎利弗はこのことを悟って言った──
「同じ一つの法の中にありながら、私はこれを得ることができなかった。ああ、深く自らを責める。どうして自分を欺いていたのか。」
以上により、共に般若経を説く場合でも、二乗(声聞・縁覚)と菩薩・仏では、上・中・下の根性や利鈍の差によって、一つの法性に通教・別教・円教という三種の異なりがあることがわかる。
たとえば、石には金の性質がある。
金の性質は一つだが、それを得た人の力によって三つの異なりがあるのだ。
解説
1. 円教における「同」と「異」
2. 舎利弗の自責
智顗は『法華経』方便品などを踏まえて、舎利弗が「一つの法性にありながら、自分はその全働きを得られなかった」と悔いる場面を引用。これは二乗は法性に入るが、その全機能を発揮できないことを象徴します。
3. 金のたとえ
4. 総括
智顗は、龍樹が説く「一法性=空」をそのまま平等に理解するのではなく、受け手の根性や教相の違いによって覚りの深さと機能性に差があることを体系化しました。これが、通教・別教・円教における法性理解の三段構えです。
そのうち「共説」では、三乗(声聞・菩薩・仏)が共に般若経を依りどころとして説かれる「法性の実相」に入るときの異同が問題となります。
同じ説法を聞きながらも、その受け取り方には大きな差があります。声聞は、法性をただ〝虚空〟のように観じ、「真如の世界においては一切の縁起も働かず、ただ空寂なるのみ」と理解してしまいます。これを覚りの完成と誤解するのです。
一方、菩薩や仏は、同じ虚空のごとき法性に入りながら、その中でなお縁起の働きをも円満に照らし出し、衆生利益のはたらきを発揮します。ここに空性の理解の深浅が表れ、二乗と菩薩・仏とのあいだに大きな差異が生じるのです。
とりわけ円教では、「空」の中にあってなお「不思議なはたらき(妙用)」が顕れるという独自の空観が示されます。ここに至って、同じ「法性の実相」を観じながらも、その境涯が通教・別教・円教と分かれることが明らかになるのです。
ここから先が、さらに深められた「不共説」の説明へと展開していきます。