- 成唯識論
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最初の能変識(第一能変)の体相は多岐にわたるが、略説すればただこれら三相(自相・果相・因相)がある。
「一切種」の相については、さらに分別して考察すべきである。ここではどのような法を「種子」と名づけるのか。それは、本識(阿頼耶識)の中にあり、直接(親に)自らの結果を生じさせる特別な能力(功能差別)のことである。
これは本識、および生じせしめる結果(果)と「同一(一)」ではなく、また「別体(異)」でもない。体(本体)と用(作用)、あるいは因(原因)と果(結果)の道理とは、本来そのようなものだからである。
同一でも別体でもないが、それは「実有(実在)」である。仮法(仮のもの)は無に等しく、因縁とはなり得ないからである。
(問い)
もしこれ(種子)が諸法と同一でも別体でもないというのなら、瓶などと同じように「仮」であって「実」ではないはずだ。
(答え)
もしそう言うなら、真如もまた「仮有」ということになってしまう。それを認めてしまえば、真実の勝義諦(究極の真理)は無くなってしまう。
ただし、諸々の種子はあくまで世俗諦(世俗的な真理)に基づいて「実有」と説かれるのであり、真如(勝義の実有)と同じではない。
種子は第八識の体(自体分)に依っているが、それはこの識の「相分(認識の対象となる側面)」であり、他ではない。見分(認識する主体としての側面)が、常にこれを対象(境)として捉えるからである。