- 成唯識論
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これによって、仮説が「実(個別の実体)」に基づいて成立するのではないことがわかる。
また、「仮説は必ず真実のもの(真事)に基づいて立てられる」という主張も道理に合わない。「真」とは「自相(事物のありのままの独自の姿)」を指すが、仮の認識(仮智)や言葉(詮)は、ともに自相を対象としないからである。つまり、仮の認識や言葉は自相を捉えることができず、ただ諸法の「共相(概念化された共通の姿)」においてのみ働くのである。また、これ(共相)を離れて別に自相を仮説の拠り所とするような手段(方便)も存在しない。
そもそも、仮の認識と言葉は必ず音声(声)に基づいて起こるが、音声が及ばない(言語化できない)自相の領域では、これらは働くことができない。能詮(言葉)も所詮(言葉の意味内容)もともに自相ではない。したがって、仮説が真実のもの(真事)に基づかないことを知るべきである。
以上のことから、(仮説は)ただ「似事(似たもの)」に基づいて働くのである。「似」とは、増益(実在しないものを付け加えること)された実在しない相(姿)をいう。言葉は、この増益された「似た相」に基づいて働くのである。ゆえに、仮説が必ず真実のものに基づくと説くことはできない。したがって、先の難問は正しい道理ではない。
(結論として)識の変じたもの(識変)に基づき、妄執された真実の「我」や「法」を否定するために、「仮」や「似」という言葉を用いるのである。これによって、経典の偈の中で次のように説かれている。
「愚かな者が執着する実在の『我』や『法』を否定するために、識が変現したものに対して、仮に『我』や『法』という名を設けるのである」
識が変現した相には無数の種類があるが、それらを変化させる主体である「能変の識」は、大きく分けて三種類しかない。
一には「異熟(いじゅく)」、すなわち第八識(阿頼耶識)のことである。多くの異熟の性質を持つからである。
二には「思量(しりょう)」、すなわち第七識(末那識)のことである。常に深く考え量る性質を持つからである。
三には「了境(りょうきょう)」、すなわち前六識(眼・耳・鼻・舌・身・意)のことである。対象(境)を認識する姿が粗(顕著)だからである。