《5-2》勇作の年齢(2)
花沢勇作は少尉であり旗手(聯隊附旗手)、
歩兵第27聯隊(※第七師団、歩兵第14旅団。日露戦争では第三軍隷下)の所属と思われます。
そして、ほぼ確実に陸軍士官学校の卒業生であろうと考えられるので、
陸士の卒業・任官時期と、日露開戦~二〇三高地戦の時間軸を整理してみます。
可能性がありそうなのは「陸士14期~16期生」です。

陸軍士官学校卒業生は通常、11月に卒業して6月に任官(少尉として勤務開始)されていたようなのですが
15期生、16期生に関しては、卒業や任官の時期が大きくずれてます。
参考:【陸軍士官学校卒業生一覧(日本)】
https://ja.wikipedia.org/wiki/陸軍士官学校卒業生一覧_(日本)
日露戦争開戦や旅順攻囲戦に伴い、急いで将校を確保する必要があったためのようです。
実際の陸士16期生は、戦地へ赴いた人と留守部隊として日本に残った人にわかれるようで、
かなりぎりぎりな感じですが、もしかしたら大連へ向かう27聯隊にすべり込めたかもしれません。
「旗手(連隊旗手)は、新任の少尉(稀に中尉)の中の成績最優秀者が1年間交代で務め」たそうなので、
勇作は「任官から1年以内の新任少尉」であると考えるのが最も妥当な気がしたのですが、
引用:【軍旗】https://ja.wikipedia.org/wiki/軍旗
選択肢として14期生も含めているのは、
戦時や出兵前に配属替えをどれだけ行うのかがわからなかったためです。
(ご意見募集中です)
少なくとも、第七師団に動員令が出た1904年8月4日以降、
現任の旗手を交代させる可能性は低いのではないか…?
16期生の任官は1904年11月1日なので、可能性はかなり低いのではと思っています。
15期生についても、任官が開戦の4日後ですし、
15期生の任官当時、まだ14期生が任官1年未満ですし(15期生の任官が4ヶ月繰り上がったため)
よほどのことがなければ14期生を続投しそうな気がします。
「師団長の息子」という立場にはどれくらいバイアスが働くのか? とか
陸軍士官学校の席次とかも絡んできそうで、ややこしいです。