《5-3》勇作の年齢(3)
大事な補足3。ひるがえって、「確実に14期生」とも断言できません。
これには二つの理由があります。
多門二郎『日露戦争日記』の冒頭には、日露開戦直後、筆者が異動を言い渡され、国内に留まることになった、
しかし「戦地に行きたい」と訴えつづけたところ、再異動になり、従軍が叶った、という記述があります。
そもそも、開戦時には「平時編成」から「戦時編成」への編成替えは行われるわけですから(各編成については別項にまとめたいと思います)開戦時に異動があってもまったく不思議ではありません。
ただ、聯隊旗手は平時編成にもある役職ですし、ある種の特権的な意味合いのある立場でもあったようです。
まず、日本陸軍ではとりわけ「軍旗が神聖視」されており、「戦場では軍旗を守護するために1個中隊が編成」されたとのこと。(引用:【軍旗】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/軍旗)
また、「明治23年(1890年)11月1日制定時の『陸軍定員令』(明治23年11月1日勅令第267号)」によれば、
平時編成の一個歩兵聯隊には「将校70名、准士官下士145名、兵卒1,440名、各部66名の総計1,721名」が所属しますが(引用:【歩兵連隊】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/歩兵連隊)
このうち少尉は25名ほどで、就きうるポジションは「中隊附」または「聯隊本部附」=「聯隊旗手」のどちらか。
(※さらに上位単位では、師団司令部の副官部に少尉が任官されることもあるようです)
中隊附少尉24名、対して聯隊旗手は1名のみと考えると、やはり容易ならぬ役職のようには感じられます。
参考:【師団】https://ja.wikipedia.org/wiki/師団#師団司令部の構成
【歩兵連隊】https://ja.wikipedia.org/wiki/歩兵連隊#歩兵連隊の定員(明治23年平時編制)
【大隊】https://ja.wikipedia.org/wiki/大隊
【中隊】https://ja.wikipedia.org/wiki/中隊
さらに、「旗手に選ばれる」ということは、参謀将校を養成するための陸軍大学校(陸大)への進学にも関係してきたようです。
「陸大に合格するには3年程度をかけての受験勉強が必要とされていた。陸大受験資格を有したのは『所属長の推薦を受けた、陸士を卒業して少尉任官後に隊附(部隊勤務)2年以上の中尉・少尉』であったが、中尉・少尉の期間に陸大の受験勉強をするためには、所属長が便宜を図ってくれることが重要であり、かつ優秀な部下が陸大に入校することは所属長にとって喜ばしいことであった。所属長から陸大入校を期待された中尉・少尉に対しては(中略)1.連隊旗手(連隊本部での勤務となるため、余暇が多い)に選ぶこと。…などが行われた。」
引用:【陸軍幼年学校】https://ja.wikipedia.org/wiki/陸軍幼年学校
以上三点、特に有力な証拠とは云えませんが、
「聯隊旗手は特殊っぽい」ということは憶えておいたほうがよさそう、とは思いました。
もう一つは、「士官候補生」「見習士官」などの期間を考慮すると、任官から日が浅くとも旗手も務められたかもしれない、と考えられるからです。
陸士の学生は、入学前には「士官候補生」として、卒業後は「見習士官」として、各隊にいわば実地実習に出されます。
陸軍士官学校の制度はかなり改変が多く、ややこしいのですが、勇作さんが在校していた(と思われる)時期は、
「士官候補生(a)→陸軍士官学校→見習士官(b)→少尉として任官(c)」
という流れのようです。
また (a)~(c)はすべて同じ隊に配属されることが基本だったようです。
(※任官までに必要な期間は、中央幼年学校卒業者、地方幼年学校卒業者、中学校卒業者で異なる。別記。)
参考:『陸軍士官学校』秋元書房、1969
【陸軍士官学校(日本)】https://ja.wikipedia.org/wiki/陸軍士官学校_(日本)
「軍人になるには」http://www.ndl.go.jp/scenery/column/tokyo/military.html
15・16期生は、卒業・任官時期の調整が行われている点を見ても、在学中からすでに日露戦争が想定されている状況で教育を受けていたはずです。
であれば、たとえ勇作が15・16期生であったとしても、見習士官時代から「日露戦争で旗手を務められるように」予め教育訓練を受けた、という可能性は否めません。
見習士官は「曹長」として配属されるとのことなので、その時点で聯隊旗手を任されるということはないでしょうが、
間もなく戦争が始まるという危機感をうけて早期教育を考え、さらに、たとえば成績優秀者である、あるいは師団長の子息である、という理由により、
見習士官時代の勇作が、任官すれば「聯隊旗手」という役職を担うものと期待され、相応の教育を施された、という可能性は考えられるかと思います。
【(1)補足】に書いたように、ある種の特権性を帯びた「聯隊旗手」という役職ではありますが、
任官から日の浅い15期生または16期生であっても、これに任ぜられた可能性はある、と考えます。