《6》鯉登音之進の年齢から
※単行本未収録分(第198話~第200話)のネタバレを含みます。
近々の本誌の情報から、波及的に尾形の年齢も絞り込みが進みましたので、まとめます。
第198話~第200話で鯉登音之進の年齢がほぼ確定されました。
原作で提示された情報は以下の三点です。
・兄が戦死した明治27(1894)年9月17日時点で8歳
・14歳、海城学校(海軍兵学校のための予備校)に在籍
・16歳で「海軍兵学校の受験」の前に、誘拐事件後に遭う(のち陸士を志願し合格)
明治27年9月17日時点で8歳ですから、単純に計算すれば、
誘拐事件が起きた年(=音之進16歳)は、明治35(1902)年周辺と思われます。
この時期の海軍兵学校の記録を参照しますと、
参考:「海軍兵学校 歴史年表」http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub7-8.htm
こちらでは明治35年の記録は確認できませんでしたが、
明治30年、32年、33年、34年、37年、38年、明治40年は「7月上~中旬」に入学試験が行なわれており、
明治32年~36年は「12月中~下旬」が卒業・入校時期となっています。
複数年くり返されているため、この時期を基準に考えてよいと仮定します。
入校時期に満16歳である必要があるはずですから、
①音之進は明治34年12月末~35年7月初めのどこかで16歳を迎えた
②誘拐事件は明治35年の6月ころまでに起こった
この二点はほぼ確定としてもよさそうです。
※秋元書房『陸軍士官学校』p.37に、日露戦争前後の慣例として
「例年なれば、明治三十七年三月に旧制中学校卒業、同年十二月、士官候補生として入隊、翌三十八年十二月、陸軍士官学校入校という経路を踏むのであるが……」
という記述があり、②誘拐事件の時期を「3月~6月」まで絞り込むことも可能かと思いますが、
当時は地域や各校によって入学・卒業の時期に差が見られるようなので、断定を控えます。
尾形は上記の「誘拐事件」に関与していますので、
明治35(1902)年6月時点ですでに第七師団に所属している必要があります。
このため、「1902年12月入営」の可能性が消えました。
(※本誌でも肩章の聯隊番号がぼかされてましたが、当時、歩兵第27聯隊の編成は完了していないため、第27聯隊所属であったかどうかは不明です。)
さらに、明治35年6月時点では戦時編成ではなく平時編成(現役兵のみの編成)のはずですので、
「日露戦争に予備役等として動員された」可能性も晴れて消え、
「尾形は1900年12月、もしくは1901年12月入営の(日露戦争当時)現役兵である」
ことがほぼ確定したかと思われます。
入営時期が比較的絞られたとはいえ、志願による早期入隊《2》-【2】の線も捨てきれませんが、
「杉元と1歳以上の差がある」《1》-【3】とすれば、
「1900年12月時点で18~20歳」または「1901年12月時点で19~20歳」である必要があります。

つまり、尾形の生年は「1880年12月~1882年12月のどこか」ということになりそうです。
かなり絞り込むことができました。
ところで、音之進が入学したのが本当に「陸軍士官学校」なのか不明です。
陸軍士官学校の年齢制限に関しては、
・「十六年以上二十年未満」(秋元書房『陸軍士官学校』p.9)
・「陸士予科(予士)入校時の年齢は最若年者で16歳」(Wikipedia【陸軍士官学校 #教育課程】)
といった記述も見られますが、これはどちらも1920(大正9)年以降の「陸軍士官学校予科」についての記述です。
明治35(1902)年当時、この教育機関はは「陸軍士官学校予科」ではなく「陸軍中央幼年学校」と呼称されています。
当時の「陸軍士官学校(後年の”本科”)」を志願する者の年齢制限に関しては、今のところ、
明治十八年制定「士官生徒入学検査格例」による「18年以上23年未満」という記述しか発見できていません。
(斉藤利彦『軍学校への進学』https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyouikushigaku/32/0/32_KJ00009273425/_pdf)
こちらはいわば「旧・士官学校」の制度下で決定されたもので、いつまでこのまま運用されていたのかは不明です。
(音之進や勇作は「士官候補生」制度下の陸士出身ですが、それより古い「士官生徒」時代の制定です)
年齢特定には関わってこないので、この問題はちょっと脇へおいておきます……。