法介の『ツイキャス de 逝こうぜ!』

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法介 2025/09/17 (水) 04:52:39 修正

分別

怒りっぽい人、あわてんぼうな人、
慎重な人、鈍感な人――
書き出すときりが無い程に
人には、それぞれに癖があります。

良い癖であれば問題ないのですが、
「悪しき癖」は、時に判断を狂わせ、
人生に思いがけない苦しみを招き入れてしまいます。

中でも、現代人が最も深く侵されている悪い癖があります。

それは「客観認識」という癖です。

物事を客観的に捉えるということーー
それ自体は科学や医学、哲学を支える大切な方法論です。
しかし、この「客観で見る」という事が、
人の心に奥深く根を下ろしてしまったとき、
そこに大きな落とし穴が生まれます。

日本に客観認識が広まったのは明治の時代。
文明開化によって西洋から流れ込んだ「近代的なものの見方」は、
やがて教育や文化を通して社会全体に定着していきました。

たしかに客観的な視点は、文明の発展に欠かせないものでした。
科学は現象の違いをとらえるところから始まり、
医学は臓器や症状を切り分けて整理することで、病の正体を探ろうとし、
文学でさえも、個人の主観を言葉という共通の器に移すことで、他者へと届いていきます。

けれども、ここに大きな落とし穴があります。

「客観」とは、常に違いを分けてとらえることだからです。
姿や形の違い、数字の大小の違い、音や言葉の違い、
特性や能力の違い――。

文明はこうした「分別」を積み重ねることで発展してきました。
しかし同時に、その分別するこころは「差別」という不幸の種をも育ててきたのです。

教育が進み、知識が広まったこの現代社会で、
なぜいじめや偏見はなくならないのでしょうか。
その理由のひとつは、「客観的に相手を判断する」
という癖が、ますます強まってしまっているからです。

「あの人、気持ち悪い」「普通と違っている」――
私たちは無意識のうちに他者を振り分け、
差別へとつなげてしまうことがあります。
これこそが「客観認識という癖」の暴走なのです。

文明は私たちに豊かさと便利さを与えてくれました。
しかし同時に、人の心には「客観に偏った見方」が深く染みついてしまったのです。
本来は物事をとらえる方法のひとつにすぎなかった客観が、
いつしか人生そのものを支配するようになった。
ここに、現代人が抱える大きな問題があります。

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