「やぁ!私は『ブールパード』。よろしくな!
…この傷?これはこれまでの戦いで生き抜いてきた証さ。
自慢じゃないがこれまでいくつもの戦火を潜り抜けてきたものでね…
自分でもまだ生きている事が不思議に思えてならない時があるよ。
そうだな…折角だからお前さんにも『戦いで生き残るコツ』って奴を教えてやろう。
そいつはな…敵さんの不意を突いて一方的にぶん殴ったら、やり返される前に全速力で逃げる…つまり『一撃離脱』だ!
逃げるなんてカッコ悪い?こいつは遊びじゃないぞ?兵士として認められたければ生き残って戦い続けろ。
悲劇の戦死を遂げる英雄譚の主人公になりたかったら戦場じゃなく劇場の舞台に立った方が良いぞ?ハッハッハ…!」
南アフリカの馬『ブールパード』のオリフレです。
ブールパードの歴史は1652年にオランダ東インド会社が現在のケープタウンを中心とした一帯を植民地として開発し始めた頃に持ち込まれたジャワ島(現インドネシア)産のポニーから始まり、その後アラブ、アンダルシアン等の血が導入されると共に過酷な自然環境による選別の結果として18世紀中から19世紀にはアフリカでの使役に耐える実用性の高い馬『ケープホース』として高い評価を得ることになりました。
1795年にケープ植民地が英軍に占領され、英国領になるとケープホースにサラブレッドの血が導入されましたが、その一方で英国によるオランダ系白人(ブール人)等の非英国系白人への冷遇と急進的な奴隷制廃止の強制は1835年から1840年代初頭にかけてアフリカ内陸にあると思しき新天地へ向けた非英国系白人の大移動『グレート・トレック』を巻き起こし、黒人部族との死闘を各地で繰り広げたブール人は現在の南アフリカ北東部に幾つもの独立国を立ち上げる事となり、自分達の国を手に入れたブール人は農産品や鉱物資源の輸出によって得た資本でハックニーやノーフォーク・トロッター等を使いケープホースの改良を進めた結果、現在のブールパードが生まれました。
しかし1860年代にブール人国家であるトランバール共和国で金の鉱床が発見された事で英国の植民地化の標的となり、英国による一方的な併合宣言への対抗として1880年12月16日にトランスバール共和国は英国に対し宣戦布告した事で「第一次ブール戦争」が勃発、この戦いで地の利を生かした機動戦と高い射撃能力によりブール民兵は『太陽の沈まない大英帝国』に大損害を与え、最終的に英国は1881年3月23日にトランスバール共和国の独立を再承認することになりました。
しかし英国はその後も併合の試みを諦めず、1899年9月にトランスバール共和国内の英国人鉱山主に対する不平等待遇(選挙権の付与、重税の是正等)の是正を要求する最終通帳を突きつけ、トランスバール側も48時間以内に自国領と隣のオレンジ自由国から英軍の撤収を要求し1899年10月12日に宣戦布告を宣言、後に「第二次ブール戦争」と呼ばれる事になる戦いが勃発します。
先制したトランスバール側は第一次ブール戦争と同様に馬を活用して迅速に散開したブール民兵が横隊陣形の英軍歩兵部隊を地形を生かした狙撃により撃破する戦術により快進撃を続けましたが、1900年2月頃から英軍の攻勢が始まり6月にはトランバールの首都であるプレトリアが英軍により占領されてしまいます。
しかしこの頃ブール民兵は英軍との正面対決を避け、その後方から繋がる補給路と通信網を破壊するゲリラ戦術による抵抗を選択しており、アフリカの過酷な環境下に順応した屈強なブールパードを駆使し土地勘を活かした破壊活動を繰り広げる小部隊『コマンド(Kommando)』が英軍を苦しめていました。
ただしその選択は英国による苛烈な報復をもたらし、1900年6月以降英軍司令官ホレイショ・キッチナーの指揮のもと民間人の劣悪な環境の収容所への強制送還(これにより2万人近い死者が出た)と農地と家屋の焼き払い、そして宿敵であるブールパードを含む家畜の殺処分による焦土作戦が実行されましたが、これはブール民兵の報復心を掻き立てる事となりトランスバールの降伏により戦争終結に至ったのは1902年5月31日のことです。
この苛烈な戦いにより大きく頭数を減らしたブールパードを復活させる試みは1905年から始まりましたが、二度の世界大戦の勃発や農業の機械化の影響もあり、ブールパード繁殖事業者協会が関連組織の再編成によって結成されたのは1957年、1973年に品種基準が定められ、南アフリカ農務省に正式な品種として認可されたのは1980年でした。
現在のブールパードはその高い身体能力を活かして民間向けには牧畜やトレッキング、公的な分野では警察等でのパトロールといった領域に居場所を獲得し、軍隊系特殊部隊に冠される『コマンド』の所以となったブール民兵コマンドの武勲と共に地元である南アフリカを中心に愛され続けています。
ものすごい情報量に度肝を抜かれましたのだ
過去最高では!?
ブールパードという馬を初めて知りましたのだ
初見ブルーバードに空見したのはヒミツですのだ
苛烈な生き様と可憐なお顔立ちのギャップがすごいですのだ
多分事実上ウルグアイ建国史を書く羽目になった「シマロン・ウルグアヨ」の方が文字量が多いと思いますが
体感的に同じぐらいのまとめ難易度でした…
原作の動画ありがとうですのだ
共に2000文字を超える大作ですのだ
ページがまるまる文字で埋まっているの圧巻ですのだ
強そう…たくましいのだ
ブールパードは『アフリカの病害虫に耐性がある』という特性があり
身体機能以外の部分もたくましいので、多分フレンズ化したら耐性と名の付く要素をフルコンプしてそうなのだ
なんか飄々としてる雰囲気ですが、実はいくつもの修羅場を潜り抜けた達人感ありますね
何せ『元祖コマンドの馬』なので戦場が放してくれない定めなのかもしれませんな…