棚上げという言葉は「本来するべきことを後回しにする」というニュアンスがありますが、私はその前提に同意しません。『wikiのアイデンティティだの在り方だのというものはそもそも今/ここで/我々が/ワイルズの評価に対する議論の中でするべきではない話なのでは?盛り上がってるところに水を差すようですが、「ひとまずの絆創膏」にフォーカスした議論に軌道修正しませんか?』という提言をしています。賛同されてる方もすでに何名かいらっしゃるのに、いないことになっていませんか?
たとえば『お花を大事に』という簡素な立札がたった公園があったとして、最近ある一角で花が荒らされるのに対して、「花と雑草の見分け方」だとか、「この公園での禁止事項」を羅列した立て札を増やそうという議論がおっぱじまっているのが今です。してよい遊びといけない遊びに明確な線引きを作って公園の新ルールにしよう。今後は特定の遊びを締め出そう…
そういうのは直ちに考えることではありません。今我々がすべきなのは、花を手折られる一角の周りを片付けて人目につくようにして、しばらくの間ロープでも張っとくことです。
順番が違うんです。ワイルズ記事の荒れという、ミクロな課題の終局をまずは目指して対策を講じましょうと言っている。ルール整備は、その効果を見てから、必要に応じて投入されるべきです。喉の痛みがなかなか治らなかったらまずは薬を飲んで様子を見るでしょう。イキナリ扁桃腺を切除するやつはいません。
現状は荒れていることを建前に、各々にとって好ましいルールづくりを提言する絶好のタイミングです。『恣意的だからNG』というのはまさにその典型で、じゃあその恣意性をどこで判断するか?には定量的な基準がないままで、「恣意的だ」とスティグマをつければ気に入らない記述を削除する根拠にできる、都合の良い棒になることを私は危惧しています。
ですから「良い記述」「悪い記述」論は今すべきでないし、このトピックですべきでもないのです。
wikiの在り方を考えるなら、ワイルズの記事がこのあと最終的にどうなったかを振り返る形で検討してもよいと思います。
というか個人的には、それは管理人に討論してもよいか最初に断ってから始めるべき議題だとも思います。