「意見の存在を事実として書く」のどこが別物なのか教えてほしいです
割と重なる部分多いですよ 思想を主張するためには意見の存在を事実として書く必要があるので
「意見する/した」行為が思想じゃないというのはかなり無理があります
「自分の意見じゃないから(責任が無いし客観性がある)」という薄っぺらい言い訳をまた通すんですか?
問題は不便で不要という主観的事実を他人の意見(ソース無し)で肉付けしようとしている行為です
ここだと別物にするためのハードルがかなり高いです(公式以外の引用が禁止のため意見の存在証明が困難)
事実であるならそもそも意見の存在という前提自体が不要で直接断言しちゃっていいと思います
>> 8366の反論を見ても「書きたい/消すな」という欲求が先行してるようにしか見えなくて心配しかないです
何に対しても「声がある」を付け足さなきゃならなくなる、あるいは付け足せば何を書いても良くなるような編集には全面的に反対です
そこまで問題提起したいならnoteにでも書けばいいんじゃないですかね……
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