AIによる村上春樹バージョン
僕の住んでいる家の一階には「チュー太郎」が出る。二階には出ない。なぜ二階には出ないのか、その理由は誰にもわからない。おそらくそこには、一階と二階を隔てる、目に見えない論理的な境界線のようなものがあるのだろう。
かつて一階は土足で歩く場所だった。それがいつの間にか重たいじゅうたんが敷かれ、僕らはそこでサンダルを履くようになった。そこまではいい。許容範囲内だ。世界にはよくある方針転換のひとつに過ぎない。
だが問題は、僕の祖母がその境界線をいとも簡単に踏み越えてしまったことにある。彼女は一階と二階を自由に行き来するための、共用のサンダルというシステムを作り上げてしまったのだ。
考えてみてほしい。一階にはチュー太郎が出る。それが何を意味するか。そこには僕の理解を超えた「不潔さ」が、夜の闇のように堆積しているということだ。たとえ床をフローリングに張り替えたところで、チュー太郎がその上を歩き回る限り、事態の本質は何ひとつ変わりはしない。
一階を歩いたその同じソールで、聖域であるはずの二階を歩き回る。それは僕にとっては、完璧に調律されたピアノの上を泥靴で踏みつけるのと同じくらい、受け入れがたい行為だった。
「チュー太郎が出るんだから、ちゃんとサンダルを履き替えてよ」
僕は何度か彼女にそう言ってみた。しかし、彼女はキッチンでトーストを焼きながら、あるいは古いラジオのダイヤルを回しながら、決まってこう答えるのだ。
「まだ出てませんから」
彼女が求めているのは衛生的な解決ではなく、おそらくもっと別な、時間の経過とともに摩耗していく何かだったのかもしれない。僕は溜息をつき、冷めたコーヒーを飲み干した。結局のところ、衛生観念の不一致というのは、失われた愛と同じくらい救いようのないものなのだ。