赤色に飾られた大ホールに入場する。ここは一種の宴会場の様に見える。その中央には全身を真紅の生地に包んだ者が玉座に座していたが、縛られて上手く動かない手でもってかろうじて指差ししていたところを見やると、舞踏会に用いられる仮面があった。
数々の仮面の表情は、とても多彩である。侘しそうな仮面も、怒りに満ちた仮面などがそこにはあった。
けれども、私はその中でも喜びの仮面が気になった。どのような理由でこの仮面が喜びという感情を満たし表しているのかは分からないが、これを使えば少なくとも他人に喜びを伝えられないと言う事はないではないか?たとえ哀しみに沈んでしまおうとも、その哀しみを隠す事が出来れば一石二鳥だろう。仮面を被ると心が清々しくなった気がした。
玉座に縛られた王に近づくと、王は細かく肩をすくめて伸びをした。もしかすると、それは生地に押さえつけられていることからくる欲求がもたらした無意識的な身振りなのではないかと思った。しばらくそれを見ていると、突然私たちに似た者達が飛び出してきた。
一様に黒く曇ったいで立ちだったが、我々によく似ている。王は彼らと我々の戦を見物するかのように、中央で気怠げに頭を下げた。
長きにわたる束縛の時間の中、それまでに見物するものも無くなっていたのだろうか。とても残念に思ったが、どうせならば縛られし王がこの激戦に楽しみを得られることを願うばかりである。
報告はイサンより。以上。
鏡に投影された像のように現れた、影の様な者達を見ると、ダンテの持つ人格牌が思い浮かんだ。
それが自我を持って具現化されたのなら、まさにこの様な現象にならねばならないとは思う。さらにその人数が我々と同じく、倒せどもその空席を埋めてくる。
考えれば考えるほど、彼らは我らと似ているところが多い。倒した後に空席を埋めてくるのを見ると、人数も我々と似て、使う技術もあまりにも類似している。
だけれども、これら大罪達は自ら判断を下すことはない。ひとえに王が自由に振り回す捨て牌のようである。
……王という者は、昔も今も操り人形遊びを楽しむものだ。自由に人を振り回し、壊して、そしてまた何事も無かったかの様に補填する。であるとしても、かの王は自らの臣民ことをとても慈しんでいるようだ。彼らには絶えず強力な加護を与えながら、我々には些細な恩寵一つすら施さない。
うぅむ……報告はイサンより。以上。
幸いなことに激戦の末に勝利を収める事が出来た。宴会はかくして終わりを告げたのだが、王は未だ余興を切望するかのごとく、生地を剥がして立ち上がろうとした。
長年の束縛にその動きは怪しかったが、その威圧的なカリスマと気品はより一層強くなった。けれども、呼び起こすのは畏敬ばかりではなく、疑問もまたそうであった。
なにゆえ、自ら立ち上がる事が出来る玉座に縛られたままで居たのだろうか。一人で立ち上がる事が出来るにもかかわらず起立せず、黙々とその場を守る理由は何なのか……私には分からない。
とは言え絶えず思い浮かぶ考えが鎮まらない、一筆書くとするのなら……。王は何かを知らせたかったのではなかろうか。それを知ることになる人々が来るまでその場を離れられぬさまは、ただただ亡霊のようである。王の剣戟を受けるたびにそんな心情が積み重なったのか、今は彼の境遇が気の毒で哀しみまで押し寄せてくる。
どのようなわけで束縛された身体でもって宴会を開き、これ程の奇怪な余興を楽しむのか。その深き深淵は計り知れない、ただ哀れなるばかりだ。
報告はイサンより。以上で終わりである。